4.5.13

コンヴィチュニー演出《マクベス》(二期会オペラ公演)についてのメモ書き。

ペーター・コンヴィチュニーがヴェルディの《マクベス》を演出すると聞き、最初にわたしが考えたのは、このようなことだった。

(1)マクベスとマクベス夫人の殺人をしなければいけない心理状態をかなり生々しくクローズアップしてくれるのではないか。とくに、マクベス夫人を単なる悪女扱いすることはないはず。たとえば、原作のシェークスピア作品のモトネタにもなった、ホリンシェッドの「年代記」に記されているような史実を生かしてくるのではないか(マクベス夫人の前夫はダンカン王の祖父に殺されていて、彼女自身も王家の系統であり、その権力奪取には理由がまったくないわけではないなど)。

(2)《マクベス》は「男らしさ」といったジェンダー的な問題を強く含んだ作品なので、これに注目しないわけにはいかないだろう。マクベスは、夫人から「男はかくあらねばならぬ」という思想を執拗に吹き込まれており、その虚ろさを暴き、そのようなシステムが働く社会を徹底して揶揄してくるのではないか。


2012年1月に、ライプツィヒでわたしはこの演出を初めて見た。
すべては「魔女」の仕業で起こされた悲劇であり、それは悲劇というより喜劇というほかないほどの軽やかさに溢れた舞台だった。

そこには、(1)でわたしが予測したような生々しい心理描写が入ってくる余地はまるでないのだった。登場人物の心理に深入りしてしまうコンヴィチュニーらしさがあまり感じられない演出であったことは確かである。機知に富んだ舞台を楽しんだのだけれど、自分としてはイマイチ消化不良のまま、「また来年日本で見て考えることにすんべさ。まずはビール、ビール」と劇場を後にしてビアホールに駆け込んだのだったよ。

今年五月、東京二期会が同じ演出でこのオペラを上演した。
ライプツィヒと大きな演出と大きな違いはない。そして、さすがに二度目となると、色々なことに合点が行ったのだった。

なぜ、このオペラはこんなに「軽やか」なのか(「矮小化」していると言った人もいた)。
それは、ヴェルディの音楽がそうだからだ。このオペラでは、やたらに人が死ぬ。しかし、その死に際しての音楽は決して重々しくはないのだ。妙にコミカル。だから、魔女が掃除機を使って、赤い紙吹雪を飛ばして死を表わす演出がまったくふさわしい。喜々として黒板(デス・ボード)に死の数を書き込む仕草が生きるのだ。

では、なぜヴェルディは、こんな陰々滅々としたストーリーに軽妙な音楽を付けたのだろう。
ヴェルディがシェイクスピア作品を原作としたオペラは三作ある。《オテロ》と《ファルスタッフ》は後期作品で、いわゆるイタリア・オペラの主流を超えた域に達している。《オテロ》はその強靱なドラマ性で、《ファルスタッフ》は後にR.シュトラウスがモーツァルトを回顧した楽劇のような不思議な浮遊感がある。
しかし、《マクベス》だけは、イタリア・オペラの範疇にずっぽりと収まっている。

シェイクスピアとイタリア・オペラの相性はあまり良くないとわたしは思う。
重層的に言葉が重ねられていくシェイクスピアと、レチタティーヴォからアリアに至る流れで時間が拡大していくイタリア・オペラ。シニカルな言葉のやり取りが魅力の前者、言葉を感情に溶解させていくのが得意な後者。
(歌劇《マクベス》には、原作では決め台詞となっている部分があまり採用されていない。たとえば、マクベスが夫人が死んだあとの台詞「人生は歩く影法師!哀れな役者だ」の部分は、オペラではただ一言「何の意味もない」とかなり簡略化されている)

ヴェルディは、このシェイクスピアの世界を損なうことなく、オペラとして完成させるために、あえて過度な重々しさを避けたのではないだろうか。原作のシニカルさを言葉ではなく、音楽で示そうと考えたのではないか。

ならば、第4幕の幕切れの合唱で、コンヴィチュニーが最後まで合唱で歌わせず、魔女の用意したラジオから流れる音でその音楽を代用させた理由もよくわかるはずだ。

その前に、このオペラの版についても触れておきたい。《マクベス》には、二つの初稿がある。
1847年、フィレンツェで初演されたオリジナル版。
1865年、パリで初演されたパリ版(フランス語)。
現在の上演は、パリ版から新たに挿入されたバレエを取り除き、イタリア語歌唱によるものが主流である(現行版といっていいだろう)。今回の二期会もこの現行版を使っている(というか、初稿上演は滅多に行われていないのではないか?)。
フィレンツェのオリジナル版と現行版の大きな違いは、その第4幕の幕切れである。現行版では、マクベスを倒したマルコムとその一味が高らかに勝利を歌い上げて終わる。いわゆる、勝利の合唱だ。これは、パリ版によって初めて書かれたフィナーレで、バレエ同様、フランスの聴衆を喜ばせるための慣習的なサーヴィスだ。観客は大きな音で締めくくられて、気持ち良く帰りたいものだからね。
オリジナル版では、ここには勝利の合唱はない。死に際のマクベスのモノローグ、合唱の短い応答で幕が下りる。《トロヴァトーレ》や《トラヴィアータ》のような他のヴェルディ作品と共通した、「ああ、悲しいことだ!」といった終わり方である。

コンヴィチュニーは、このオペラの最後を「勝利の合唱」で締めくくりたくはなかったのだと思う。そして、それがヴェルディの真意であったと。
政敵が政敵を殺し、勝利の合唱で終わるというのは、あまりにも皮相だ。その皮相さが、シェイクスピアの世界と通じるものがあるとしても、決してヴェルディの考えには合致しなかったと彼は考えたんじゃないか。だから、演出家はここで「勝利の合唱」を脱臼させるという試みに出たわけだ。

並、あるいは並の上くらいの演出家であれば、ここでは「勝利の合唱」を高らかに奏で、観客の耳を喜ばせつつ、舞台上で一つ二つの不穏な視覚効果を与えることで、「ま、めでたく勝利なんだけども、また別なヤツにコイツも殺されるんだよねえ。ああ虚しいことよ」みたいなメッセージをやんわりと伝えようとするだろう。実際には、何もやってくれないバカ演出が多いのだけどね。

しかし、コンヴィチュニーは徹底的にやる演出家だ。東ドイツのメンタリティほとばしる、悲劇的なほどに大真面目な考えの持ち主なのである。こういった人はやんわりと伝えるようなアダルトな心意気は持ち合わせていない。とにかくメッセージはスレトートにといった信念が、挑発的な方法を呼ぶ。
最初から現行版ではなく、オリジナル版を使ったほうが良かったんじゃないか、という意見もあるかもしれない。でも、コンヴィチュニーは現行版を使うことで、この挑発が意味を持つ(メッセージとして伝わる)ことを意図したんじゃないかな。

ヴェルディは、このオペラにシェイクスピア原作にないシーンを書き加えている。第3幕の民衆の合唱「虐げられた祖国」だ。
コンヴィチュニー演出は、舞台では倒れていた人々が次々に起き上がって、棒立ちになって歌い、そのあいだ客席には照明が点灯される。棒立ち状態で歌い手が歌い(これは彼の演出では稀である)、客電が付くのは、これはほとんどコンヴィチュニーのクリシェといっていいほどの演出の一つになりつつある。その意味は、「もう舞台も客席も区別はない。これは現実に起きていることなのだから。だから、歌い手は、客に向かって直接メッセージを伝える」ということだ。
ここで歌われているのは、荒廃した国土を悼む言葉だ。これが現在の日本であれば、わたしたちは、そこに震災や福島、そして国民に抑圧を強いつつある政治状態についてのメッセージとして受け取らなければならないのだろう。
(わたしは、ライプツィヒでも東京でも、舞台かじり付きの席だったので、客電が付いているのを知ったのは幕の途中だった。《神々の黄昏》では急に電気が付いて観客を驚かせたのだけど、この作品ではゆっくりと照度を増していく方式だったという)

また、このオペラの現行版には、フィレンツェ版とパリ版という20年近く離れた様式が同居しているため、音楽においてもいくつかの齟齬もある(初期のブンチャッチャ節と中期のドラマ性強い音楽の両方が聴こえる)。そして、コミカルさとシリアスさの不自然な化粧直し。
良くも悪くも、このバラバラな感じが、おそらく《マクベス》の魅力なのだろう。そして、コンヴィチュニーはそれに忠実なまでの演出を行った。それだけだ。

わたしも、第3幕「虐げられた祖国」で客電を灯してまでメッセージを伝えるのは、ちょっとやりすぎじゃないか、こういうことはとっておきの場面でやんなきゃもったいないでしょ、と最初思ったのだけど、今は考えが少し変わった。
わざわざヴェルディが書き足した原作にないシーン。ヴェルディがもっとも言いたかったメッセージーーこのシーンを演出家はもっとも重要だと考えたのだ。そう思うと、このバラバラなオペラにうっすらと統一感が出てくる。最後の「勝利の合唱」の脱臼の意味が(アタマではなく)身に感じられるようになる。

わたしが最初に予想していた(1)の「心理を抉る演出」は、このオペラではやれないのだ。だって、ヴェルディの音楽がそのようなことを語ってないから。
では、(2)の「ジェンダー問題」はどうか。

これは巧妙に実現されていたといっていい。
すべての出来事に絡んでくる魔女をどう考えるかだ。これは「抑圧された女性」の怨念か。征服と殺戮が繰り返されるだけの男性原理社会へのジハードか。

いや、それほどまでにドロドロした怨嗟じゃないよね。
すべてはキッチンで鳴らされるラジオからに軽やかに響いてくる凱歌にすぎないのだから。

5.3.13

自転車事故の現場をストリートビューで見てみると


自転車事故の記事を目にすると、どんな場所なのだろうかと気になり(自転車乗りの悪い癖)、Googleマップを使って現場検証していたら、夕飯を作る機会をすっかり失ってしまって、バナナとビスケットでごまかして寝ちゃう寂しい夜。

で、気になった事故はこれ。

「自転車同士が衝突、女性教諭重体 大阪・阿倍野」(朝日新聞)
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/OSK201303040038.html

4日午前7時15分ごろ、大阪市阿倍野区阿倍野筋4丁目の府道(あべの筋)の交差点で、いずれも自転車に乗って通勤中の男性医師(41)と大阪府立高校の女性教諭(58)=ともに同区在住=が出合い頭にぶつかった。女性は転倒して病院に搬送されたが、頭などを強く打っており、意識不明の重体という。

 阿倍野署は、医師が安全確認を怠ったとして、重過失傷害容疑で現行犯逮捕したが、約2時間45分後に釈放した。医師は「青信号に従って走っていた」と話しているという。医師にけがはなかった。

 現場は信号機のある、あべの筋と市道の交差点。女性は自転車であべの筋の歩道上を南から北に直進。現場交差点の横断歩道を渡っていたところ、西側の市道から東向きに自転車で走行してきた医師と衝突したという。医師は事故後、自ら110番通報した。

 交差点近くの商店で働く女性(68)によると、現場は普段から自転車の行き来が多く、住民が通学時の小学生の見守り活動を続けているという。女性は「若い人の中には自転車ですごいスピードを出す人もいる。危ないと思っていた」と話す。


この事故をGoogleマップで現場検証してみた。住所から該当する交差点は二つある。
交差点A交差点Bだ。

リンク先のストリートビューを確認すればわかるのだが、いずれも男性医師は大通りに出るのに、対面信号を無視して突入する可能性は低いと思われる。つまり、あべの筋の歩道を走行していた女性教諭が、歩行者向けの信号を無視した確率が高い(あくまでも現場の状況からの推測であるが)。

さらに、交差点Aを見ると、女性が見落としたと推定される歩行者用信号の設置位置がかなり見にくい位置にあるのがわかる。このストリートビューの画面だと、女性は画面左から右へと移動したことになり、対面の信号が交差点から不自然なまでに離れている。しかも、その前には商店街の看板などもあって、信号の見え方に困難が生じたのではないか。

もし、事故現場が交差点Aであったとしたら、これは府警のほうへ賠償責任行くかも。もちろん、これが信号設置の基準内であれば法的責任は負わないんだろうけれども。

それにしても、この朝日の記事、「約2時間45分後に釈放」なんてやたら細かいのはいいのだけれど、最後の交差点近くの商店で働く女性(68)の空気コメントはマジで余計。関係ないこと載せるなっての(だいたい、自転車が速いスピードで走ることを前提にして考えなければ、事故は決して減らないのだ)。

9.2.13

文化庁長官のありがたいお言葉について


 2月6日、東京藝術大学美術学部で『文化庁長官と語る会[白熱教室 第2弾] 文化芸術は社会に役に立つか』というイベントがあったらしいのだが、その会場で撮られた一枚の写真がちょっとした話題になった。いかにもお役人が喜んで作りそうなPowerPointのスライド。ここには、こんなことが書いてある。


一般の人が芸術を体験・鑑賞することで何が得られるか?

(1)音、色彩、形、香り、味などが与える心地良さ

(2)メッセージに感動
・苦難を乗り越え、目標を達成する喜び
・愛が成就した喜び
・家族愛(親への孝)の素晴らしさ
・友情の素晴らしさ
・正義が最後には実現することの素晴らしさ
・家系、組織、国に尽くすこと(忠)の素晴らしさ
・恩、義理に報いることの素晴らしさ
・それらが叶わなくても、一途に努力し続けることの素晴らしさ
・教訓

引用先
https://twitter.com/OkmtEli/status/299779691806593024/photo/1


 まあ、こういうの見ちゃうと、脊髄反射で「芸術を何だと思っているんだー、おめー」とつい血が滾ってしまうものだが、見れば見るほど不気味ではある。なんたって、こういう場に「忠」だの「孝」だの文字を引っ張ってくるなんて、喧嘩売ってるんじゃないかとしか思えぬ蛮行。
 さらに、家族愛とは、親への孝としっかり定義(それ以外はあまり認めなくないんだよーという意志表示)しているのが、なんとも時代錯誤であり、最後の「教訓」と一言ポツリと示されているのが、これまた怖いくらいにスパイシー。
 まさしく、このリストこそが、芸術そのものではあるまいか、などと思ってしまうほどだ。

 タイトルの「一般の人」というのも、秀逸だ。いざとなれば言い逃れできちゃうもんね的なお役人の作文技術が存分に発揮されている。つまり、「芸術は心地良さだけを与えるものではない」なんて主張する人は、一般の人とは到底認められぬ、退廃的あるいは狂った馬鹿者である、なんてエクスキューズできちゃいますものね。

 当日言った人のツィートなどを参照すると、主催者が題した「白熱教室」とはかけ離れ、長官が一方的にレクチャーし、都合の悪い質問は軽くスルーといった状態だったという。まったく盛り上がらずに、無事散会したというわけだ。

 これが、昔であれば(あたしもお爺さんになってしもうたわ)、「てめー、芸術をバカにしとるんか」などといった野次、怒号がのべつなく投擲され、長官が上野の杜で徹底的に吊るし上げられる、なんて事態が起こったと思うのだが、当日はいたって静穏な雰囲気だったという。
 なんて大人しい学生さんなんやろ、これだから今の学生は、などといった、お爺さん的なイラつきを覚えつつも、今回の学生の事なかれな反応も、さほど悪い選択じゃなかった、いや将来の美術を担う者として的確だったかもしれないなとも思うのだ。

 最近は、「戦後的なタテマエ」無しに、モノゴトを言うことが流行っている。政治家が「戦争も辞さぬわい」みたいな強い態度を示すと、少なからぬ国民が喜ぶ、みたいな状態になりつつあるくらいで。
 この長官が用意させたテクストも、国家が当たり前のように持っている価値観をそのまま反映しているように思われる。さっすが、平安時代から脈々と続く官僚制社会主義国ならでは。自由主義国で、なかなか「芸術とは、国への忠誠の素晴らしさを伝えるメッセージである!」なんて、言えませんし。

 国がここまで何の恥じらいも隠し立てもなく、「我々の方針」を示してくれたことに、ある種のサービス精神さえ感じられもしよう。
 少なからぬ美術学部の学生は、これから作家として、あるいは企画者として、国や都道府県などの役人たちと緊密にコミュニケーションを図り、予算や便宜を確保する能力を獲得しなければならぬ。
 交渉すべき相手の手の内を見せてくれた長官のテクストは、そうした際に重要な効果を発揮するのではあるまいか。こういう「国家の求める社会主義的な美学」に対し、自らの信ずる美学をどうすり合わせ、相手の裏を画くことを考えるのに、恰好の指標になるのではないか。つまり、「なるほど、敵の狙いはソコなのか」と、ありがたく受け取って置くべきなのだ。
 
 んまあ、とことん長官と美学論争するようなアバズレな学生も格別に好きなのだけど、それよりも、国の方針と相容れぬような(別に相容れてもいいけど)「いい芸術」を見せてくれる企画が、たくさん予算を獲得して欲しいと思うのでねえ。

5.2.13

AKBのおかげで大井町のエステに辿り着く。


 AKB絡みで、「恋愛禁止」という言葉が、報道などでもさも当たり前のように使われているけど、なにやら「痒いの禁止」「眠いの禁止」などと真顔で言ってるみたいで、滑稽な心地する。内面に相当することを禁止できるわけがない。だって、片思いだって恋愛なんじゃないの?

 少なくとも、「お泊まりデート」だけで、「恋愛」の構成要件を満たすのかについては、もっと議論の対象になってもいい。「恋愛」の定義は、近代文学では論争の対象に相当しよう。北村透谷的なのか、対幻想的なのか等々。
 せめて、新国立劇場は、急遽ワーグナーの「恋愛禁制」を上演することを決定し、国民のあいだでこの議論を共有してもらいたいものだと願う。ってか、そんな文化国家に生まれたかったぜ、ぼかぁ。

 なぜか、この「お泊まりデート」でふっと思いついたのは、漱石「虞美人草」のなかに出てくる「大森に行く」というキーワードなのだった。「男女が大森に行けば、その関係が認められるようになる」という意味が小説のなかで説明されているが、最初に読んだときには、ちょっとピンと来なかった。
 かつての大森に待合(ラブホ)が多かったのはわかるけれど、ここに行けば「認められる」というのが、どうも腑に落ちないのだ。

 これについては、漱石全集(岩波書店1994)の注解者である平岡敏夫が全集月報に寄せた文章が参考になった。「大森に行く」という意味は、小栗風葉「青春」で主人公の男女が一夜を共にし、女は妊娠、男は堕胎幇助で入獄というプレテクストを前提にしたものだという。風葉の「徳義」の無さに対する漱石の批判も込められていたらしい(「虞美人草」では、大森行きは実現されなかった)。
 さらには、「青春」が連載された読売新聞に対し、「虞美人草」の朝日新聞という、掲載媒体を意識した対抗心が漱石にはあったのだとか。

 ちなみに、「虞美人草 大森」で検索すると、大井町に「虞美人草」というエッチ系のエステがあることを知った。勉強になるなー。藤尾萌えーな方は行ってみるがよろしかろう。

1.1.11

ねんとうのごあいさつ

元旦に閉まっている店の前で「火曜日なのに休みとは、見上げたもんじゃ。一年の計は元旦にありと言います。だのに、お前んとこはちゃっかり店閉めて、のうのうと朝から酒飲んでぐうたらしてるとは、まったく人生を舐めきったタコ野郎めが、出てこいコラ」などと以前は思ったりしたものでしたが、最近はそういう考えを抱くこともなくなりました。人は、一歩一歩成長していきます。年を取るのはすばらしいこと。ということで、今年もよろしくお願いいたします。

26.8.10

故佐治敬三氏に代わって、サントリー芸術財団をひっぱたきたい。

作曲家の夏田昌和氏が覚醒剤取締法違反で警視庁に逮捕された。今月末には、サントリー・サマー・フェスティバルで2作品が演奏され、本人も芥川作曲賞の選考員として、公開選考に臨むはずだったが、作品は演奏されず、選考員も外されることが公表された。

容疑者が公の場に出てきて、役付きで他人の作品を選ぶ、なんてことはなかなか難しいというのはよくわかる(本人だってやりたがらないだろう)。しかし、過去の作品の演奏が直前になって取り止めというのは、過剰反応がすぎるのではないか。何の根拠もないのだから。それが証拠に、取り止めた理由は絶対に公表されることはないだろう。その理由を言語化することさえ出来ないのである。

この決定を知り、「ああ、やっぱりな」という気持ちがしたのは事実である。「嘘だろ? 信じられない」じゃなくて、「ああ、やっぱりな」。自分がこういう気持ちになったのには、ちょっと驚いた。とても嫌な気分だ。だって、こういう「ああ、やっぱりな」という淀んだ気持ちを多くの人が抱くことによって、世の中はだんだん悪くなる、ということだもの。

フェステバルを主催するサントリー音楽財団および東京コンサーツが、自らのイメージを守り、文化庁からの助成金をカットされるのを恐れるあまり、「そういう悪い作曲家は自分たちで処分しました」ないし「そういう作曲家はいなかったということで」にしてしまいたくなる気持ちもよくわかるのだ。ケガレを徹底して忌避する文化の国じゃもの。

でも、彼らが夏田氏の作品を予定通り演奏したとしたら、どうなったのだろう。騒ぐマスコミもいるだろう。週刊新潮あたりが「シャブ中の作曲家が書いた作品をサントリーホールで堂々と演奏」なんて嫌みたらしく書くだろう。聴衆の一部からは「くだらないプレッシャーに負けず、よくやった。さすがメセナの王様サントリー」と賞賛の声も挙がるのは間違いないが、一方では「なんのコンサートか知らないが、とにかくけしからん」と主催者にクレームを付ける人もいるだろう。

問題となっているのは、文化庁のお役人が「薬物中毒者の作品を演奏しちゃうようでは、来年からサントリー芸術財団さんには助成金出しませんよ」と言ってくるケースだという。これをフェステバル関係者、並びに現代音楽業界の人々がひじょうに恐れているらしい。でも、こんなことが本当にあるのか、謎なのだ。なにしろ、何の論理も説明もそこには展開されそうもない。確かに、官僚からしてみれば、何らかの理由を付けて助成金をカットしたがっているご時世だということはわかる。でも、本当にこんな前例あったの? 実はそう思い込んでいるだけじゃないの?

必要以上にお上をモンスター化していないだろうか。十分な議論も無しに、「そんなことは、お上が許さないだろう」と勝手に思い込んでいないだろうか。そうやって、国家の権力は勝手に大きくなってしまう。わたしたちの考えを狭めていってしまう。国はこう言うだけだ。「表現の自由を損なうような検閲めいたことはやるわけないじゃありませんか。ええ、あなたたちが勝手に判断したまでのことで」。

最終的に判断を下した、主催者については残念に思う。そして、その判断を支えた「ああ、やっぱりな」と思ってしまった一人である自分自身に対しても憤りを感じる。だから、その精神を踏みにじられた故佐治敬三氏に代わり、この手を振り上げて、サントリー芸術財団をひっぱたきたい。俺も俺の手でひっぱたきたい。部室に飛び散る汗と涙。そんなビミョーな感じの青春ドラマなのでありました。

11.8.10

コンヴィチュニーのオペラ演出ワークショップで感涙す。

 暑い日々が続き、何をやっても中途半端。思い切って、コンヴィチュニーの演出ワークショップ聴講しよかと、びわ湖ホールまで出かけた。このホール、名前通りにびわ湖のほとりに建っているのだが、そのせいか、やたらに蒸し暑い。極上のサウナだぜ、とヘロヘロになりながらホールのリハーサル室へ。
 今回のコンヴィチュニーを迎えたワークショップは、六日間、みっちり朝から晩までかけて、プッチーニの《蝶々夫人》全幕を仕上げる。すべての日程を見たいものだが、さすがに厳しいので、五日目の午後から聴講することにした。最終日の午後は、発表会として《蝶々夫人》を通しで上演するという。

 会場に入ると、コンヴィチュニーがもうノリノリの状態。さすがに歌手やスタッフは連日のハードワークのせいか、疲れが全身から伝わってくるのに、コンヴィチュニーと通訳の蔵原さんだけが、妙に元気なんですの。やはり、演出家たるものは、このくらいテンションが高くないとやってけないものなのか。

 今回の演出は、コンヴィチュニーが90年代半ばにグラーツで上演したプロジェクトに準じるもの。ハンブルクでの「このオペラの本質を伝えるためなら、何でもやっちゃるぜい」という、人によっては傲慢と感じるような姿勢(これを傲慢と考えること自体も傲慢なのだが)にはまだ到達する前の、シンプルながら、やたらきめ細かに登場人物の心理が透かし彫りされてしまう演出が見られるはずだ。

 五日目の午後に割り当てられていのは、最終幕の最後の場面だ。寝起きの蝶々夫人が、自宅の庭でピンカートンの妻ケイトと領事シャープレスと出会う。二人は蝶々夫人とピンカートンとのあいだに出来た息子をアメリカに引き取ろうと彼女のもとを訪れたのだ。蝶々夫人は、ピンカートンが自分のもとに帰ってくるという希望を打ち砕かれ、息子まで取られてしまうという絶望から、自害に至る大詰めのシーン。たった10分くらいの場面だが、これを3時間近くかけて稽古する。

 その前夜、ピンカートンが帰ってくる希望に心を踊らせていた蝶々夫人。その希望が一つひとつ消えていく段階をコンヴィチュニーは、事細かに表現する。庭にケイトを見つけたときは、まだ彼女は悲劇を察していないのだから、「庭で馬を見つけたように」と指示があれば、楽譜にある増三和音は、ピンカートンを探す蝶々夫人の「港を探す船のような」心理状態を表すと説明があり、そして「Non」という拒絶から彼女の狂気がスタートするといった具合に。

 蝶々夫人以外のその場にいた人々は、彼女の悲劇は避けられないということを一瞬にして知る。スズキを含めた彼らは、一斉に蝶々夫人から離れる。それはもう彼女を助けることが不可能だからだ。唯一、何も知らない子供だけが、彼女の傍に駆け寄っていく。それぞれの登場人物の感情のコントラストが鮮やかに描き出され、それが絡み合って、強烈なドラマトゥルギーを生み出す。自害した蝶々夫人は、遠くから自分の名前を呼ぶピンカートンの声に反応し、最後の力を振り絞って虚空に手を伸ばす。たった10分間のシーンなのだが、なんというドラマの濃さよ。

 次の日は、発表会としてこのオペラを通しで見る。カタログ・ショッピングの映像が壁に投影され、手軽に売買の対象となる蝶々夫人。アメリカの国旗とソファを組み合わせた、象徴的な舞台。しかし、なんといっても、この演出の目玉は、「目隠しプレイ」だったのだ。

 最初にこの「目隠し」が出てくるのは、第1幕最後の蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱の場面。二人は目隠しをして、相手を探すように舞台をさまよう。それは、相手が見えないという孤独が、官能や愛へと転じる象徴でもある。
 そして、この「目隠し」は、第2幕の最後、「ハミング・コーラス」でも登場する。この場面は、ピンカートンが帰ってくるという希望で胸をいっぱいにして朝を迎えた蝶々夫人の甘い思いを描く間奏曲で、よくある上演では、バレエが挿入されるシーンだ。
 この演出では、客席のなかに散らばって配置された合唱団が、目隠しをしながらハミングし、薄暗い照明の会場全体をゆらゆらと歩き回る。この上演ではオーケストラはピアノ伴奏によってまかなわれていたが、この場面だけは、やはり目隠しをしたヴィオラ奏者が演奏しながら、合唱団と同じ動きをする。
 なんという幻想的なシーン。そして、これが蝶々夫人の夢のなかを表したものだと気付いたときの、あまりにものいじらしさに胸が詰まる思い。彼女は、ピンカートンと結ばれたときの思い出を夢のなかに蘇らせるのだ。そして、それは幽霊のように、あまりにもはかない。
 このハミング・コーラスが、このオペラのなかで場違いなまでに美しく書かれていたことの理由が、この演出によって証明されたといっていい。ちょっと泣いてしまいそうになる場面だ。
 最後に出てくる「目隠し」は、蝶々夫人が自害する直前、遊んでくれとまとわりつく幼い息子をなだめるために用いられる。目隠し遊びをしてもらえると喜んだ息子は、母親を探して、舞台から姿を消す。再び孤独へと戻っていく瞬間。
  とんでもなくスーパーな上演だった。一週間近くたった今でも、トカトントンじゃないけど、あのハミング・コーラスの音楽がどこからか聴こえてくるような気がするくらい(その度に、胸がグッと詰って、涙腺がユルユルになる始末だ)。

 すべてのオペラ関係者は、彼のワークショップを一度は体験しなければならない、と新たに思う。これを体験せずに、オペラで食っていこうなんて思っちゃいけないぜとも。コンヴィチュニー本人は、新しい演出よりも、ワークショップがしたい、しかも日本で、受け入れ先絶賛募集中、と言っているのだから、来年もどこかで実現してくれることを希望する。個人的には、彼の新演出を見たいんだけどねえ。

 一つ、余談。

 実は、コンヴィチュニー演出の《蝶々夫人》には苦い思い出がある。もう何年も前のこと、ハノーヴァーでこの演目がスケジュールされた。大喜びでチケットを取ったのだが、しばらくしてコンヴィチュニーがキャンセル、別の演出家による上演になってしまった。キャンセルしようか迷った挙句、何かの縁だし、いっちょ見てやれと現地に乗り込んだのだけど、これが、まったく凡庸な演出で、終演後、いたたまれない気持ちで一人寂しくビールを飲みまくったという記憶だ。
 あれが、予定通りコンヴィチュニーの演出だったら、終演後は深い充実感を覚えつつも、ハミング・コーラスを思い出しては胸がいっぱいになり、やはりビール飲みまくったんだろうなあ、と。ハノーヴァーは、小振りでキレイな街だったけど、こういう演出を観たとしたら、さらに美しい街として、一生忘れない場所になっていたのになあと。

2.5.10

マスクとベルガマスク

 先日、テレビを付けたら、たまたまコンサート中継をやっておって、冬頃に収録されたものなのであろうか、客席のマスク率が異常なほどに高いのに気付いた。まるで示し合わせたように、白いマスクの人ばかり。その人たちが目だけをギラと輝かせ、舞台に見入っている。顔の半分近くがマスクで隠されてしまうので、目が尋常ならざる存在感を示してるのが、ちょっとコワい。

 いつぞやは新型ウィルス騒ぎとかで、関西あたりでは電車のなかは一斉にマスクをした人ばかりで、そこにマスク無しで乗り込もうとすると、これまた一斉にギロリと睨まれる、なんてことがあったことを仄聞したことがある。やはり、表情が隠されたまま、目だけが際立ってしまうから、圧迫感は相当なものだろう。彼らの口元を覆う白いマスクが、俺たちは潔癖だが、お前は汚れている、みたいなメッセージのようにも思えてくるような。

 それにしても、日本のマスクって、なぜ白いものばかりなんだろう。もともと医療用だから白、というのはわかる。でも、今じゃ、医療うんぬん関係なく生活に浸透しているのだから、別に白でなくてもいいんじゃね、と思うのだ。事実、香港や台湾などでは色とりどりのカラーなマスクが普及しているようだし。

 いや、ここは、いわゆる白無垢の白なのだ。穢れに対し、身を守る潔白の白なのではないか。だから、日本では病気の人がマスクを付けるのではなく、それを予防する人がそれを付ける、というまことに不思議な慣習が出来てしまうのだ。少なくとも、欧米ではマスクを付けるのは、よほど伝染病が蔓延しない限り、「私は病人です」という表示でもあるし。

 こう考えると、カラーでグラフィカルなマスクのほうが華やかでいいのにな、というわたしの希望は日本では叶えられそうもないことがなんとなくわかってきた。じゃあ、白で結構。でも、現状では、遊び心が無さすぎはしないだろうか。インフルエンザ蔓延や花粉症の季節になると、みんなマスクしちゃうんだから、もっとマスク・ライフを楽しまにゃ損。

 たとえば、お手持ちのマスクに好きな字を一文字書いてみる。漢字でも平仮名でも、句読点でもよろしい。みんなそんなマスクして、電車に乗り込めば、ロングシートにズラリと文字列が浮かび上がるという算段。もちろん、なかなか意味のある文章にはならないわな。でも、偶然に「こ」「の」「タ」「コ」「野」「郎」「!」などと、並んだときの感激はひとしおである。

 なにしろ、見られている本人は、自分たちがどんな文字列を形成しているかわからないのが、いい。この人とあの人の席を交換すればもっと良くなる、この人の代わりに立っているあの人が座ればいい、などというようなアドバイスが向かい側に座っている人から提供されるかもしれない。殺伐としている電車のなかに、コミュニケーションが生まれる。これって、まことにすばらしいことじゃありませんかね。

8.2.10

裁判員制度広報映画を立て続けに見る。

 裁判員制度に関する報道はまこと興味深かった。「そんなの絶対やりたくない」「仕事が忙しいんだよ」「プロに任せればいいじゃん」みたいな意見が続出、「お上にお任せ」な江戸期の百姓体質がかなり根強いことが証明されたのだから。卑しめようというのではない。それが、伝統的な庶民意識なのだから。まあ、個々の人々がそれを形作るという「社会」意識なんて、この国には間違っても存在していないということは確か。そんなものが無くても、うまく機能しているシステムがあることに、素直にすごいなと感心してしまうんだけども。
 
 そんな甘じょっぱい話はともかくとして、裁判員制度を広報する映画というものが複数あることを知り、これをまとめて見てしまった。内訳は次の通り(ほかに短編やアニメ作品などもあるが、これは除く)。ほとんどがネット上で鑑賞可能だ。

法務省制作が1本。 
「裁判員制度ーもしもあなたが選ばれたらー」(リンク先は予告編のみ) 
最高裁判所制作が3本。
「裁判員〜選ばれ,そして見えてきたもの〜」
「審理」
「評議」
 
 法務省の「裁判員制度ーもしもあなたが選ばれたらー」は、最近の邦画っぽいカメラ・ワーク。選ばれた裁判員がみんなウソみたいにやる気がないのが衝撃的だ。選考のために集まったところでブーたれ、面接でブーたれ、選ばれてからの評議の最中にもブーブー。「俺たちゃ百姓、お上の問題には一切触れないぜ」という心意気さえ感じさせる。
 その意識を変えていくのが、中村雅俊が扮する裁判長。彼がやたらに強烈なオーラを放ち、やる気のない裁判員たちを引っ張っていく感動的なストーリー、ってわけだな。裁判所のロケで使われたのは、旧お茶の水スクエア(現日本大学)。

 一方、最高裁判所が制作した三本はいずれもテレビ・ドラマを意識した作り。
 「裁判員〜選ばれ,そして見えてきたもの〜」は、法務省のものと違って、裁判員がウソみたいにやる気まんまん。「是非、この有意義なものに参加したい」という姿勢がギラギラと眩しすぎる。法務省の映画と違い、ロケ地は実際の裁判所施設を使用、小道具も細かい。被告の腰紐、手錠もバッチリ登場する。
 法務省制作の映画では、公判の日に会社の大事な取引きが入ってしまい、主人公の裁判員(西村雅彦)の深い葛藤が描かれるのだが、この映画でも同じシチュエーションが現れる。しかし、裁判員(村上弘明)は、毅然として裁判のほうが大事だと言い切るのだ。ウソみたいにカッコ良すぎるキャラ。
 
 法務省作品が「社会参加の意思が低い裁判員」をリアルに描き、それを裁判所がうまくリードする物語を展開したのに比べ、最高裁作品は最初から理想的な裁判員が存在する(存在して欲しい)という違いが著しい。
 一方、二つの作品には印象的な共通点もある。主人公役の裁判員が子供を持つ親であり、いずれも子供は「親が裁判員に選ばれるのは光栄で、その責務をまっとうして欲しい」と願っていること。そして、最後は少しギクシャクしている家庭が、親が裁判員をすることによって、円満になるという設定だ。裁判員で家庭問題も解決、というメッセージなのである。なんと、すばらしいことか。

 さて、お次は同じ最高裁制作の「審理」。これは、酒井法子主演ということで、大いに話題になった作品である。くだらぬ理由でお蔵入り中だが、全編をyoutubeで鑑賞可能。
 こちらは、酒井演じる主婦が主人公。これまでの二作の主人公は男性会社員(ともに課長)であり、いずれも公判当日に大事な取引きが重なったのに対し、この映画では「予約がなかなか取れない店での豪華ディナー」が犠牲となる設定だ。ディナーが会社の仕事よりも重要性が低い、なんてことは思わないけれど、なんだかこうあまりにも対照的に扱われると、変な心地がしてしまう。
 「審理」は、思いっきりコテコテなホームドラマが特徴的。主人公での家庭での、妙にイキイキとしたやり取りが印象に残るのだ。一方、そんなホームドラマの主役が、裁判所に出向いた途端、これまでのゆる〜い雰囲気が一掃され、まるで別の作品みたいにキリリと引き締まる。そのコントラストが妙におかしい。こんなにユルい人でも、裁判員になればキリリと職務をこなせるものなんですよ、といわんばかり。
 
 最後も最高裁制作の「協議」。これは、いきなり火曜サスペンス劇場のノリ。これまでの映画にあった裁判員の家庭は描かれず、あくまでも評議と表決のシーンが主要テーマとなる。法廷のシーンは、ほとんど回想シーンとして登場し、サスペンス仕立ての音楽がこれでもかと付けられ、ちょっとしたミステリー気分を味わえる。
 
 ほとんど代わり映えしない、同じようなネタで4作品見たが、作り手によって違うもの、また同じものがチラチラ見えて来くるのがいい。もちろん、広報用の映画なので、この説明をこんなシチュエーションでしちゃうのか、といった脚本テクにも注目するのもいいだろう。税金使ってこんなものを、と思う人もあろうが、万物はエンタメとして開かれておるのだから利用せにゃ損。

17.1.10

雪岱展へ

昨日は 「小村雪岱とその時代」展へ。前回何の用で行ったのか思い出せない、懐かしい埼玉近代美術館。習作から装丁、挿絵はもちろんのこと、歌舞伎の舞台装置原画まで網羅、俺のような雪岱好き好き野郎にとってはたまらぬ展示だ。

雪岱は、その冷ややかな構成美、スッキリした線が魅力。挿絵などでは、構成上、ほっそりとした直線が強い力を持っているから、曲線が艶めかしくも感じられる。昨年末、横浜美術館で束芋の「でろりん」とした挿絵を堪能した後では、ちょうどいい毒抜きにもなった。わしゃ、毒も薬も同じくらい好きじゃけんのう。

雪岱を知ったのは、吉川英治を読み耽っていた中学生の頃かしらん。この時代(大正〜昭和初期)に活躍した挿絵画家はすごかった。岩田専太郎、小林秀恒、志村立美、山口将吉郎などなど。そのなかでも、小村雪岱のモダンさは強烈に印象に残った(志村立美の奇ッ怪なほどの色っぽさもインパクトあったけれど)。

舞台装置原画を観ると、歌舞伎にとって、雪岱はワーグナー演出におけるヴィーラント・ワーグナー的な役割を果たしたといえるのかもしれない。しかし、彼の静謐なデザインと歌舞伎がどのように相容れたのだろうか、この分野に疎いわたしはちょっと想像が付かぬ。

18.12.09

東京流星会西村朝雄参上!

道が暗いのである。
象徴的な意味ではなく、物理的に駅からの帰り道が真っ暗なのだ。街灯も少なく、いや「街」じゃないんだから、そんなものは最小限しかないのは当たり前なのだが……。。先日も、電車のなかで、人が読んでいた新聞を覗き込むと、「今晩は双子座流星群がもっとも多く見られますぜ」などということが記されており、東京に住んでいた頃は、「どうせ見られないし。関係ないし」みたいな心意気だったのだけれど、今ならば、「ほほう。家までの帰途にちょっくら見てみっか」などという気持ちになってしまうくらい、帰り道が暗いのである。

そして、実際、駅に下りると、星がずわーっと見える。早速、双子座の位置を確認すると、なんと天頂付近ではないか。これでは歩きながら見るには首が痛くなる。痛くなるくらいなら良いものの、下手すると雨続きで流れが抜群な側溝だのに落ちて、星と一緒にわたしも流される状況になって、ひじょうに危険なのである。

視線が空と前方の両方を捉えるように腰を落として歩くことにする。こんな妙チクリンな格好で歩けば、東京ならば「即、不審人物発見」ということになるのだろうが(まあ、こういう取られ方をされるのは慣れているけど)、こちらでは安心である。深夜に歩いている人などおらぬからである。立ち止まるなり、家に帰って落ち着いて空を見上げればいい、という正統な意見もあるが、やはりここは歩きながら流れる星を見る、という感興を優先したい。歩きながら食べるアイスクリームみたいにさ。

新聞の仰せの通り、星がひゅんひゅん流れている。一度、辺りが明るくなるくらい、どでかいのが流れ、ひょおおと思う。今そんなことを言う奴がいるかわからないけど、昔は「流れ星に向かって願い事を唱えると叶う」なんてことがよく言われていたものだが、果たしてそんなことをすることが可能なのだろうか。星が線を描く一瞬のあいだに心中に響くのは「ひょおお」とか「うほほ」みたいに言葉にならないものばかりで、間違っても「志望校に入れますように」とか「ナントカ君と結婚できますように」とか「お父さんの借金が早く返せますように」みたいな文言が閃くことはまるでない。「腹減ったな」ぐらいのツブヤキぐらいが関の山。

これは、ある拍子に願い事が出てしまうほど、強く思っていれば叶う、ぐらいの意味なのであろう。そういう思いが心のなかで常時起動している、という状態が好ましいということでもある。。だとすれば、わたしの心のなかでは、「ひょおお」とか「うほほ」、せいぜい「腹減ったな」という言葉程度を紡ぎ出す思いしか常駐していないことになり、みみっちいな俺、などと星空の下でたそがれてしまったわけである。

19.11.09

壊れたこと。寂しいこと。

 しばらくのあいだ、体調を崩してぐったりしておった。高熱で神経がへらへらしてしまって、寝床のなか、まったく抑揚を欠いた調子で「犬のおまわりさん、困ってばかりでわんわんわわーん」とおもむろに歌ってしまう。起きてみても、何度も気を失いそうになり、これって新型ウィルス? 流行りものゲット? と気分を高揚させたまま、病院まで歩く。真っ直ぐ歩けなく、途中で記憶が飛びそうになるが、ハタからみれば単なる酔払いがふらふら歩いている午前11時。診察してもらったら、ただの風邪やんけ。解熱剤と抗生物質投与で熱は下がる。
 
 それから一週間おきにノドが痛くなるという現象が起き、仕舞いにはヨダレも呑み込めなくなり、二階の窓からびよーんとヨダレを垂らしてみる。お釈迦さまだぜ、クモの糸ごっこ。周囲から見られない場所に住んでいて良かったと一安心してみるものの、食事どころか水も飲めなくなって、しかたなく医者へ。扁桃腺が腫れて、膿がたまっていたらしい。ノドに穴空け、膿を排出。痛え。
 
 現在は小康状態だが、薬をたんまり飲んでいるせいか、身体が妙に重い。いつまで続くのだろ、こんにゃろ、といった状態で過ごしている。今年初めて帰省して、モンテディオ山形対大宮アルディージャの歴史的な一戦を観るのも取り止め。寂しいのう。
 
 最近、もっとも寂しかったことといえば、死体遺棄の市橋容疑者が捕まったことかねえ。別に彼には、何の共感も思い入れも一切ないのだが、誰であれ、逃げている人が捕まるのは、やはり寂しい心地がする。この管理化が進む日本で、うまく自らを隠して逃げおおせることの困難さ。これを成し遂げようとするロマンティシズム。捕まることよりも、リスクが大きい逃亡生活を選ぶことに実存を置こうとする精神。単に容疑者が捕まったのではなく、自分のなかにあるロマンティシズムが壊れてしまったような寂寞に襲われたのだった。
  
 気を紛らわそうと、携帯メール着信音を例の「花みづき、夏には白い花を、秋には赤い実」に変えてみる。うーん、携帯から突然人の声が流れるのはやっぱ落ち着かねえな……と一日で挫折。それにしても、彼はいったいどんなシチュエーションでこれを録音したのかねえ。激しく気になる。

24.10.09

鉄オタになったような気分

「今日も自転車?」
「そだけど」
「チャリ・オタだね」
「そういうあんたも、毎日毎日飽きもせずに電車に乗って、まさに鉄オタって感じなんだけど」

などという会話をした日々が懐かしい。都心から千葉の片田舎に引っ越した今では、そうなにからなにまで自転車で行くというわけにも行かず、すっかり鉄オタになってしまった気分だ。とくに、コンサートのシーズンである今月来月は、鉄道乗りまくりである。千葉からチャリで来ればいいじゃん、という意見もあるだろうが、さすがに千葉市まで1時間半、そこから都心まで2時間近くかかるのを考えると、夕方のコンサートに行くだけで一日仕事になる。行きはいいけど、帰りのことを考えると、げっそりしますわな。

しかし、鉄道ってホントに不便だ。目的地まで直行できないし、無駄に改札とか通らせて遠回りさせるし、階段多いし、電車のなかは混んでるし、臭い。これで立派に銭を取ろうというのだから、その見上げた根性に感心してしまうくらいだ。これが市民意識の強い先進国だったら、暴動が起きちゃうはずだぜ。自転車でどこでも移動できた時代を思って、満員の丸の内線のなかで泣きたくもなりますわよ。

今日も野田線のなかで泣こうか? それともチャリで行くか。夜の天候がちょっと心配になってきたんだべ、大一番の柏レイソル—モンテディオ山形戦。

23.10.09

「パリ・オペラ座のすべて」は、いろいろあって、ややすべり

ワイズマンの新作ドキュメンタリー映画「パリ・オペラ座のすべて」を見に行く。
もちろん、例によってナレーションもBGMもインタビューもない、バリバリに硬派なドキュメンタリーなのだが(個人的には、これぞドキュメンタリーだと思う)、どうもワイズマンらしくない。というか、ワイズマンを見てきたぜっヒャッホーといった感慨が薄い。なぜなのだ。

「コメディ・フランセーズ」「バレエ(アメリカン・バレエ・シアターの世界)」に引き続く三作目のパフォーミング・アーツ物なのだが、この二作に比べても、いささか毒が薄いように感じられちゃうのよね。「コメディ・フランセーズ」における、規定以上の枚数のチケットを買えなくて窓口で喚くモンスター公務員と、それを冷たくあしらう係員のシーンのような、ワイズマンならではのシーンがほとんど見当たらないのだ。「バレエ」では、ほとんど冒頭といっていいシーンに、いきなり「寄付金が足りなすぎるわよ」と電話口で怒鳴る支配人らしき女性が出てきて度肝を抜かれるが、そうした場面は今作では見られないのである。

どうも微温的なのである。団員たちが年金についての説明を受ける場面や、配役を換えてくれと談判するダンサーなどのシーンはあるし、それぞれのダンサーの熱意ある稽古を見られるにしても。まあ、ワイズマンはバレエ好き、パリ好きだから、いつものような対象への鋭利な視点をちょっとだけ損ねてしまった、ということもいえるかもしれない。

タイトルからの違和感もある。原題は「La Danse, Le Ballet de L'Opera de Paris」。直訳すれば「パリ・オペラ座の舞踏とバレエ」。このくらいに素っ気ないのがワイズマンのタイトル。「高校」「病院」「州議会」「肉」「法と秩序」みたいにさ。出来れば「舞踏とバレエ」ぐらいにして欲しかったのう。

不必要な字幕も付いている。作品とダンサーの名前の日本語字幕は余計だろう。ワイズマンの映画のコンセプトは、その対象となっている施設やら団体やらのシステムを描き出すことにある。よって、個人名などをわざわざ出す必要はまるでないのだ。それは映像を観て、わかる人がわかればいいだけで、知らない人にそれを伝える意味はまるっきりない(これは、ハッキリと断言できる)。

心配してしまったのは、それぞれの場面を字幕で説明しちゃったりしないだろうかということ。ワイズマンの映画は、これは何のシーンなのか、観客には一目でわからないことが多い。日常をそのまま切り取っているだけだからだ。観客は、その映像を凝視し、会話に耳をそばだて、自分のアタマで「へへー、こりゃお金でもめてんだ」などど判断しなければいけないのである。そして、カメラの存在を忘れ、そのまま映像の内部に入っていくことになるわけだ。これらの作業が、ひじょうに気持ちいいのである。この気持ち良さを奪われたら一大事と一瞬思ってしまったが、さすがにこれは杞憂。ホッとして映像に魅入る。

あと、会場の雰囲気も変だ。平日の朝の上映に駆け付けたのだが、これが見事に満席なのだ。確かに、ワイズマン作品は人気があるから、そこそこの人はいつも入るのだけれど(先日の日本未公開だった「エッセネ派」は満席だったし)、どうも客層が違う。見渡せば、いわゆる、無職のバレエおばさんが大挙して押し寄せているようだ。それが証拠に、混雑状況を調べると、夕方からの上映のほうが空いているのだ。

ははん。配給元もきっとこのバレエおばさんたちに受けるように、タイトルをいじり、余計な字幕を付けたっちゅう魂胆だな。たしかに、ワイズマン全作観てますぅといった、小汚い格好のドキュメンタリー映画ファンのよりも、ハイソっぽい雰囲気のバレエ好きおばさまたちのほうが、絶対数も多いし、お金も持ってる、いいお客様だ。うん、仕方ないね、これは。アテネフランセ文化センターあたりで再演するときは、せめて余計な字幕は取り払って下さいましな。約束だぜ。ふぎゅう。

17.10.09

たまにはだいひょうのはなしを

サッカーは週に3試合以上は観戦するけど(ほとんどはテレビだが)、日本代表の試合はほとんど観ない。
つまらないからである。チームとして、何をしたいのか、はっきりしないので、退屈だし、時間の無駄だからである。JFLとかの試合でも観ていたほうが、ずっと面白い。

オシムが監督をやっていた頃は、勝ち負けはともかく、コンセプトが明快で、「やっと日本代表にも文明開化がやって来た」と思ったものだ。トルシエのときは、彼のやり方が強引で、まるで幕末のペリーかハリスみたいで、妙なところで楽しめた。しかし、岡田監督になってからは、また暗黒の時代に逆戻り。

「なぜカズ外した?」に岡田監督不快感

岡田監督「もう、二度と出ねえ」 過激インタビューの一部始終

いやもう、この監督、かなりヤバいのではないか。監督というのは、言葉で説明しなければならない義務がある。選手に対して、そしてファンに対して。
カズを外したことが悪いのではない。そのことを少しも負い目に感じる必要さえない。自分の行った判断について、言葉で説明できない、あるいはしようとしないことが問題なのである。それをテレビのインタビューで突っ込まれて、怒るだけでは、どんだけ痴れ者なのか。もちろん、なんでもかんでもストレートに話す必要はない。レトリックを駆使してはぐらかす、ことだって、十分なコミュニケーションになる。そういうことをせずに、インタビュー拒否ではあまりにも幼すぎる。

サッカーとは、畢竟、コミュニケーションのスポーツだから、こういう人は監督に向いていないのである。クラブのように、代表は時間をかけてコミュニケーションを構築できない。一瞬にして、それを成立させるような手腕が必要なのだ。

テレビ局の対応も不自然だ。監督に謝罪するとか、まるっきり必要ない。「そんなんでキレるお前がバカ」と悠然としてればいいのである。そもそも、日本のインタビューでは、インタビューイに不快な質問をするのは避けようという「空気」が強いのが問題なのだ。聞きたいことを聞かず、予定調和的に終わる(仕込まれた)インタビューなど、単なるプロモーションに過ぎない。そして、対話がない国のサッカーは弱い。

ただし、テレビ局とケンカすることがエンターティナーとして責務であると岡田監督が考えているなら、話は別だ。それは興業としては悪いことではないからだ。面白い「見せ物」で、日本代表に注目を集めるという考えならば。だったら、もっと激しく、過激にやってこませと言うしかないのである。

12.10.09

自衛隊 自衛隊 私は私よ 関係ないわ(中森明菜の節で)

ハードディスク・レコーダーの奥底を掃除しようと思ったら、「なんでこんなの録画したんだろ」というような映像がごろごろ出てきて、面喰らう。そのなかに『戦国自衛隊』と『戦国自衛隊1549』という映画があった。「自衛隊が戦国時代にタイムスリップして、現地人とバトル」という同じ主題を用いた作品が、昭和と平成という時代を隔てていかに描かれているのだろうかと思って、二つ続けて見てみた。

『戦国自衛隊』は、1979年製作。70年代の角川の映画だけあって、やたらにアツい。自衛隊が戦国時代にタイムスリップして、「ここで戦って天下を取ってやる」という野望を抱いた伊庭三尉は武田信玄との戦いに勝利するが、戦力を失って最後は滅亡するというストーリー。タイムスリップするときの、サイケデリックな映像効果がたまらなく70年代。劇中に流れる気だるい歌謡曲がたまらない。

一方、『戦国自衛隊1549』は、2005年公開。もう完全に平成といったクールな映像で、CGも多用、前作のようなエロやグロは完全に封印されている。自衛隊の実験中に、戦国時代に飛ばされてしまった中隊。彼らのせいで歴史が狂い、磁場に変化が起きていることから、もう一度別の中隊が戦国へ飛び、歴史を修正しようというストーリー。平成の作品だから、もちろん気の抜けるハッピーエンドが用意されている。

二つの作品、その違いがもっとも顕著なのは、戦国に飛ばされた個々の自衛隊員の描き方だ。『戦国自衛隊』は、現地の女を武力でかき集めハーレム作っちゃう奴、現地の農村に溶け込んじゃう奴、村の女と出来ちゃう奴、恋人と駅で会う約束を果たすために脱走しちゃう奴、など、それぞれの隊員の個性がくどいまでに描かれていた。一方、『戦国自衛隊1549』は、隊員はほとんど逸脱行動は見えず、上官に従う忠実な兵隊に過ぎなく、よって、その個性もほとんど描かれない。「個性などくだらない」という親世代に反抗した昭和の世代と、「個性は大事です」と教えられて「そんなもの必要ない」と長いものに巻かれたがる平成の世代の違いを如実に表しているようだ。

『戦国自衛隊』の最後は、武器を失った主人公たちが隠れている廃寺を、かつて友情を熱く交わした長尾景虎に襲われ、全員死んでしまうシーンである。システム(あるいは運命)に押しつぶされる人間たちを描くというテーマがそこにある。『戦国自衛隊1549』のほうは、救ってやった武士が仲間になって主人公たちの強力な助っ人になるなど、時代を超えた友情が華々しく描かれる。「友情」(え? 友愛?)こそ大事という、これまたファンタジー系メディア調のテーゼがはっきりと刻印されているのだ。

さすが角川映画というべきか、『戦国自衛隊』の燃え盛る廃寺のシーンは、なかなかに迫力がある。クサいくらいの滅びの美学。これに対応するかのように、『戦国自衛隊1549』にも城が爆発する場面があるが、こちらはCGで軽々と描く。その爆破が激しければ激しいほど、CGならではのヨソヨソしさが強調される。ゲームみてえ。

両作品とも、自衛隊という、取り扱い注意の団体を扱っていると共に、国防やら、平和やらに、言及したいという欲望が見え隠れする。最後に、象徴的なセリフを二つばかし抜き書きしてみた。

「昭和の時代に戻って何になる? ぬるま湯に浸かった平和な時代に戻って何になる? 武器を持っても戦うことができない時代に戻って何になる?」
『戦国自衛隊』〜戦わずに現代に戻りたいという隊員に向かって、伊庭三尉が説教する場面より

「平成の日本人が日本人であることを誇りにできる強固な国家を作ってやる」
『戦国自衛隊1549』〜信長に成り代わった的場一佐が、歴史を変える必要性を説く場面。

7.10.09

いつもの16分間だった

テレヴィでJリーグ初だという再開試合を見る。中断された鹿島アントラーズ1—3川崎フロンターレというスコアのまま、74分からスタートする、たった16分間の贅沢極まりない試合だ。

何年か前のリーガ・エスパニョーラ、ベティス対レアル・マドリーの試合で後半が停電のために続行不可能になって、後日後半45分間だけ試合が行われたのを見たことがあるのだが、それはもう伝説になっていいほどすごいものだった。何せ45分しかないのだから、最初からフルパワーで走りまくり、攻めまくり、やたらに凝縮度の高いゲームだった。

こういうものをJリーグでやってけつかるとは。しかも、今回は16分しかない。凝縮度はハンパない。下位チームの応援者としては、優勝争いなど他界の出来事だけど、これは見ておかなければならぬだろう。試合内容的には、優勝は川崎、清水、広島あたりがいいとは思っているけれど。

いきなり最初のプレイで鹿島がフリーキックで一点返してしまう。おお。あとは一方的に鹿島が攻めるだけ。気付いたらロスタイムに突入。あっという間に終了。2—3のスコアで川崎が勝利。

うーん。どうも物足りない。いつもの試合を後半74分から見ただけのような。最初に一点返されて、守りに入るしかなかった川崎。ここは、やはり16分間限定でいつもに増したイケイケな攻めを見たかったものよのう。鹿島もロング・ボールで前線に合せるだけで、ひどく単調で退屈。16分というのは、逆に短かったのか。


ことごとくマイナーなネタで恐縮極まりないが、わが愛しの「蜂さんチーム」をこんなとこで発見。ジダン息子なんて一刺しじゃっ。

6.10.09

舐めるように読んでしまった記事

なんでこんなものが報道されるの? という不思議な記事に出会うことが最近になって目立ってきているように思う。芸能人の薬物騒動なんて、スポーツ新聞とかワイドショーだけでやるぐらいの小ネタに過ぎねえのにさ。まあ、明治時代の小新聞だって、そういうバカバカしいノリだったから、それを忠実に受け継いでいるといえば、そうなのかもしれない。もともとジャーナリズム不在の国だしねえ。

そのなかでも、「これはすごいんじゃなかろうか」と思ったのは先月に報道された、コレ。

読んだら売るつもり…「坂の上の雲」など文庫4冊万引き

文庫本を四冊万引きするだけで、こんなふうに報道されるなんて、新鮮すぎる。日刊万引き新聞とかじゃなくて、全国紙の産経新聞ですよ。しかも、この報道、最初は容疑者が実名で記されていた(たった今、リンク先を確認したら、実名が忽然と消えていた)。実名で報道する意味の無さに、後から気付いたのでしょうな。そりゃそうだろ。

で、このニュースのどこらへんにニュース・バリューがあるのか。一通り読んでも、いつもながらの、つまんない日常がそこにあるだけ。これが報道の対象になるのだったら、すごいことになるざますわよ。警察に捕まった万引きの総数が年間約十万件くらいだから、朝刊開くと約三百件の万引き記事が並ぶわけ。壮観すぎねえか。

ただ、一つひっかかるのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」ですかね。なぜ、わざわざ盗んだ本の書名がこのように見出しにまでなるのか。ははん。要するに、産経新聞は、「坂の上の雲は、万引きして読むほど面白い!」、これだけを言いたかったのではないだろうか。このメッセージを伝えるための報道というわけだ(この事件、他紙は一切報道無し)。そういえば、「坂の上の雲」の単行本は文藝春秋だけど、連載は産経新聞だった。社会面で堂々タイアップ記事というわけですか。さすが、野蛮な国で出ている新聞は、ちょっと違うぜ。

3.10.09

千葉駅付近の賑わい

華々しくも千葉県人になってしまって、すでに四ヶ月目に突入だ。
先月のある日、打ち合わせにかこつけて、県の中心街といわれているらしい千葉駅付近を初めて散策してみた。同じ県内でも辺鄙なところに住む自分にとって、千葉駅付近は間違いなく、大都会。お上り気分ではしゃいでやるぜ、へへい、と思っていたのだ。

店はそこそこある。本屋。電気屋。CD屋。でも、品揃えはやはり……。ただ、家電を買うなら秋葉原、本を物色するには神保町に食後の散歩気分で繰り出していた四ヶ月前を思うと、その落差は小さくない。

腹が減ったので、ラーメン屋に入る。「こってり」を看板にしたいささか汚らしい店(こういうところがソソるのだ)。食べてみると、異常なまでに塩辛い。「味が濃い方は薄めます」と掲示してあるので、すかさずスープをつぎ足してもらう。しかし、周囲を見渡すと、誰もそんなことをしている者はいない。みんな平気な顔して食べている。塩辛さが文化にもなっている東北出身のわたしでさえ濃いと思うのに、恐るべし千葉。

客は男女のカップルばかり。そういえば、街をぶらついても、その手合がやたらに多い。平日の夕方なのだが、なぜ千葉駅前はカップル天国なのだろう、と思案してみたのだが、一つ思い当たるのが、「一人で来てもあまり面白いものがない」ということだ。地方都市とはこういうところなのかもしれないが。

チェーン店は揃っている。さまざまな飲食店、カラオケ・ボックス、靴や服を売る店などなど。しかし、こんな当たり前のところに一人で行っても何も楽しくはないのだ。このような店には、おそらく誰かと連れ合っていかなければ間がもたない、ということなのだろう。件の塩辛いラーメンだって、誰かと一緒ならば、ネタぐらいにはなる、ということかもしれない。

つまり、ここには都市のワンダーランドである古書店も、怪しげな映像を堪能できる単館映画館もなく、爬虫類専門ショップも、異常なまでにマニアックな自転車屋もない。当たり前だけど、クラシック専門中古LP屋もない。こういった個人の好奇心を満たす場所がちゃんと存在している東京って、かなり偉いトコロなのだと改めて感心した次第だ(だからこそ、20年以上もぬくぬくと生活できたわけである)。

あたくしなんぞは、どこにいても一人で結構楽しめちゃう奴なんで、あまり問題ないのだが、そうでない人は、かなりストレスを溜めることになる。いや、地方都市は最初からそのように設計されているのだろう。一人で楽しめる奴なんて、世間から浮いた変な考えを持ちたがるし、子供も作らんし、あまり生産的じゃないからな。この日、駅前で個人情報を交換しているカップルを二組見かける。出会い系だって流行るわけか? ふむう。

1.6.09

ヨロコビ疲れ

ヨーロッパのサッカーの日程が終了。今年はユーロもワールドカップもない年なので、じっくりと仕事にでも勤しもうかな……と。それにしても、なんか今年はちょっとスゴイのである。自分の贔屓のクラブが、次々とタイトルを獲得しちゃってるのだ。こんな年はなかなかない。昨年末のJリーグから引き続き、ヨロコビ疲れしてる。

FC.バルセロナ(チャンピオンズ・リーグ優勝/リーガ・エスパニョーラ優勝/国王杯優勝)

前回のチャンピオンズ・リーグ優勝のときは妙に泣けたが、今回はへらへら笑って試合を見ていた。なにせ、あのマンチェスター・ユナイテッド相手に、猛烈に美し過ぎるサッカーをやってんだもの。至福。ただ、最初の十分の間は正直負けると思った。

FC.ジロンダン・ボルドー(リーグ・アン優勝/リーグカップ優勝)

10年ぶりのリーグ優勝。長かったなあリヨン時代。前回はちょうど海外サッカー中継見始めたばかりで、やはりその美し過ぎるパス・サッカーに虜になった。今年は、日本で中継が無かったのでリーグ戦の試合を見られなかったのが残念だ。立役者グルキュフを完全獲得して安堵。

SC.フライブルク(二部ブンデスリーガ優勝・一部昇格)

優勝決定戦は紙芝居状態のネットテレビを見ながら、大騒ぎしてました。フィンケ監督(現浦和監督)時代のパス・サッカーを継承しつつも、サイドからの質の高いクロスがガンガン入るイケイケなサッカーで、不気味なくらい今年は強かった。来年は久々の一部リーグを満喫するぞう。

残るは、ザンクト・パウリ、ラージョ・バジェカノあたりがキッチリ昇格を果たしてくれればのう(と、欲望は尽きない)。