30.7.06

食う・綯う蚊

ここ二三年くらい、蚊の食いつきが悪かった。複数人でヤブのなかに入っても、自分だけ蚊に刺されることがない、という状態が続いたのである。蚊も見向きしないような血質になってしまったか、それとも二酸化炭素の排出が鈍くなったかして、新陳代謝に支障を生じておるのではないか、などと心配しつつも、カユイカユイ思いをしなくて済むのはなんて愉快なことなんだ、人生はかくのごとく美しい、などと心のなかでほくそ笑んでいたのであった。

しかし、今年は何たるザマだ。先月、小石川植物園の樹木地帯で、一度に10匹くらいの蚊に集中攻撃された。それからも、少しヤブっぽい場所では、必ずや蚊に血を抜き取られるのであった。群がったこいつらに一度にざっくりやられると、ああ、オレにも人間の血が戻ってきたのだ、蚊にも欲望されるようなまっとうな血が、なんて阿呆な思いがアタマを一瞬過ぎりながらも、目がかすんでしまうくらいカユイカユイなのである。

だから、東京国立博物館の庭園で行われたク・ナウカの芝居「トリスタンとイゾルデ」を見に行こうぜ、と誘われたときは、一瞬たじろいだ。いかにも蚊がわんさといそうなところじゃねえか(というより、チケット代6000円という金額にたじろいだのだが、血は金なりという箴言にあるように、両者にはそう違いはない、ってことにしとく)。しかし、ク・ナウカの公演をナマで観たことがこれまでなかったし、「トリスタンとイゾルデ」というベタベタな話をどうやるのか興味があったし、夏の夜の庭園ってのも、げにげに風流かなと思って出かけることにしたのだった。

舞台は、橋掛、地謡座などを設け、能の様式を摸したもの。同行のO氏によれば、青山円形劇場での初演ではそうした趣向はなかったというから、今回は「薪能」のように見せたかったのだろう。事実、舞台の奥には、広大な庭園が場面に合わせて照明でうっすらと映し出され、その空間感覚がえらく気持ち良かったのだった。ただし、ク・ナウカの役者の動かし方は、歌舞伎を思わせる。この歌舞伎的耽美と、能的空間性がごっちゃになって、何やら怪しげに劇は進む。

初演では、トリスタンが三島由紀夫、マルケ王が昭和天皇、のような読み替えが明瞭だったらしいが、今回はそこまで強調されず。あくまでも、幻想は幻想のうちに留める。その中途半端さが、夏の戸外での公演にふさわしかったのかもしれない。

さて、わたくしは、開演前に肌身をさらす部分に念入りに虫除けクリームを塗りたくっておったので、今回は蚊からの攻撃は皆無なのだった。さすが、クスリは効くもんだぜ(っていうストーリーだったよな、このお話は)。舞台上では媚薬でクラクラしている二人を見ながら、こっちはカユイカユイでは、まったくどうしようもないし