11.8.10

コンヴィチュニーのオペラ演出ワークショップで感涙す。

 暑い日々が続き、何をやっても中途半端。思い切って、コンヴィチュニーの演出ワークショップ聴講しよかと、びわ湖ホールまで出かけた。このホール、名前通りにびわ湖のほとりに建っているのだが、そのせいか、やたらに蒸し暑い。極上のサウナだぜ、とヘロヘロになりながらホールのリハーサル室へ。
 今回のコンヴィチュニーを迎えたワークショップは、六日間、みっちり朝から晩までかけて、プッチーニの《蝶々夫人》全幕を仕上げる。すべての日程を見たいものだが、さすがに厳しいので、五日目の午後から聴講することにした。最終日の午後は、発表会として《蝶々夫人》を通しで上演するという。

 会場に入ると、コンヴィチュニーがもうノリノリの状態。さすがに歌手やスタッフは連日のハードワークのせいか、疲れが全身から伝わってくるのに、コンヴィチュニーと通訳の蔵原さんだけが、妙に元気なんですの。やはり、演出家たるものは、このくらいテンションが高くないとやってけないものなのか。

 今回の演出は、コンヴィチュニーが90年代半ばにグラーツで上演したプロジェクトに準じるもの。ハンブルクでの「このオペラの本質を伝えるためなら、何でもやっちゃるぜい」という、人によっては傲慢と感じるような姿勢(これを傲慢と考えること自体も傲慢なのだが)にはまだ到達する前の、シンプルながら、やたらきめ細かに登場人物の心理が透かし彫りされてしまう演出が見られるはずだ。

 五日目の午後に割り当てられていのは、最終幕の最後の場面だ。寝起きの蝶々夫人が、自宅の庭でピンカートンの妻ケイトと領事シャープレスと出会う。二人は蝶々夫人とピンカートンとのあいだに出来た息子をアメリカに引き取ろうと彼女のもとを訪れたのだ。蝶々夫人は、ピンカートンが自分のもとに帰ってくるという希望を打ち砕かれ、息子まで取られてしまうという絶望から、自害に至る大詰めのシーン。たった10分くらいの場面だが、これを3時間近くかけて稽古する。

 その前夜、ピンカートンが帰ってくる希望に心を踊らせていた蝶々夫人。その希望が一つひとつ消えていく段階をコンヴィチュニーは、事細かに表現する。庭にケイトを見つけたときは、まだ彼女は悲劇を察していないのだから、「庭で馬を見つけたように」と指示があれば、楽譜にある増三和音は、ピンカートンを探す蝶々夫人の「港を探す船のような」心理状態を表すと説明があり、そして「Non」という拒絶から彼女の狂気がスタートするといった具合に。

 蝶々夫人以外のその場にいた人々は、彼女の悲劇は避けられないということを一瞬にして知る。スズキを含めた彼らは、一斉に蝶々夫人から離れる。それはもう彼女を助けることが不可能だからだ。唯一、何も知らない子供だけが、彼女の傍に駆け寄っていく。それぞれの登場人物の感情のコントラストが鮮やかに描き出され、それが絡み合って、強烈なドラマトゥルギーを生み出す。自害した蝶々夫人は、遠くから自分の名前を呼ぶピンカートンの声に反応し、最後の力を振り絞って虚空に手を伸ばす。たった10分間のシーンなのだが、なんというドラマの濃さよ。

 次の日は、発表会としてこのオペラを通しで見る。カタログ・ショッピングの映像が壁に投影され、手軽に売買の対象となる蝶々夫人。アメリカの国旗とソファを組み合わせた、象徴的な舞台。しかし、なんといっても、この演出の目玉は、「目隠しプレイ」だったのだ。

 最初にこの「目隠し」が出てくるのは、第1幕最後の蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱の場面。二人は目隠しをして、相手を探すように舞台をさまよう。それは、相手が見えないという孤独が、官能や愛へと転じる象徴でもある。
 そして、この「目隠し」は、第2幕の最後、「ハミング・コーラス」でも登場する。この場面は、ピンカートンが帰ってくるという希望で胸をいっぱいにして朝を迎えた蝶々夫人の甘い思いを描く間奏曲で、よくある上演では、バレエが挿入されるシーンだ。
 この演出では、客席のなかに散らばって配置された合唱団が、目隠しをしながらハミングし、薄暗い照明の会場全体をゆらゆらと歩き回る。この上演ではオーケストラはピアノ伴奏によってまかなわれていたが、この場面だけは、やはり目隠しをしたヴィオラ奏者が演奏しながら、合唱団と同じ動きをする。
 なんという幻想的なシーン。そして、これが蝶々夫人の夢のなかを表したものだと気付いたときの、あまりにものいじらしさに胸が詰まる思い。彼女は、ピンカートンと結ばれたときの思い出を夢のなかに蘇らせるのだ。そして、それは幽霊のように、あまりにもはかない。
 このハミング・コーラスが、このオペラのなかで場違いなまでに美しく書かれていたことの理由が、この演出によって証明されたといっていい。ちょっと泣いてしまいそうになる場面だ。
 最後に出てくる「目隠し」は、蝶々夫人が自害する直前、遊んでくれとまとわりつく幼い息子をなだめるために用いられる。目隠し遊びをしてもらえると喜んだ息子は、母親を探して、舞台から姿を消す。再び孤独へと戻っていく瞬間。
  とんでもなくスーパーな上演だった。一週間近くたった今でも、トカトントンじゃないけど、あのハミング・コーラスの音楽がどこからか聴こえてくるような気がするくらい(その度に、胸がグッと詰って、涙腺がユルユルになる始末だ)。

 すべてのオペラ関係者は、彼のワークショップを一度は体験しなければならない、と新たに思う。これを体験せずに、オペラで食っていこうなんて思っちゃいけないぜとも。コンヴィチュニー本人は、新しい演出よりも、ワークショップがしたい、しかも日本で、受け入れ先絶賛募集中、と言っているのだから、来年もどこかで実現してくれることを希望する。個人的には、彼の新演出を見たいんだけどねえ。

 一つ、余談。

 実は、コンヴィチュニー演出の《蝶々夫人》には苦い思い出がある。もう何年も前のこと、ハノーヴァーでこの演目がスケジュールされた。大喜びでチケットを取ったのだが、しばらくしてコンヴィチュニーがキャンセル、別の演出家による上演になってしまった。キャンセルしようか迷った挙句、何かの縁だし、いっちょ見てやれと現地に乗り込んだのだけど、これが、まったく凡庸な演出で、終演後、いたたまれない気持ちで一人寂しくビールを飲みまくったという記憶だ。
 あれが、予定通りコンヴィチュニーの演出だったら、終演後は深い充実感を覚えつつも、ハミング・コーラスを思い出しては胸がいっぱいになり、やはりビール飲みまくったんだろうなあ、と。ハノーヴァーは、小振りでキレイな街だったけど、こういう演出を観たとしたら、さらに美しい街として、一生忘れない場所になっていたのになあと。