5.2.13

AKBのおかげで大井町のエステに辿り着く。


 AKB絡みで、「恋愛禁止」という言葉が、報道などでもさも当たり前のように使われているけど、なにやら「痒いの禁止」「眠いの禁止」などと真顔で言ってるみたいで、滑稽な心地する。内面に相当することを禁止できるわけがない。だって、片思いだって恋愛なんじゃないの?

 少なくとも、「お泊まりデート」だけで、「恋愛」の構成要件を満たすのかについては、もっと議論の対象になってもいい。「恋愛」の定義は、近代文学では論争の対象に相当しよう。北村透谷的なのか、対幻想的なのか等々。
 せめて、新国立劇場は、急遽ワーグナーの「恋愛禁制」を上演することを決定し、国民のあいだでこの議論を共有してもらいたいものだと願う。ってか、そんな文化国家に生まれたかったぜ、ぼかぁ。

 なぜか、この「お泊まりデート」でふっと思いついたのは、漱石「虞美人草」のなかに出てくる「大森に行く」というキーワードなのだった。「男女が大森に行けば、その関係が認められるようになる」という意味が小説のなかで説明されているが、最初に読んだときには、ちょっとピンと来なかった。
 かつての大森に待合(ラブホ)が多かったのはわかるけれど、ここに行けば「認められる」というのが、どうも腑に落ちないのだ。

 これについては、漱石全集(岩波書店1994)の注解者である平岡敏夫が全集月報に寄せた文章が参考になった。「大森に行く」という意味は、小栗風葉「青春」で主人公の男女が一夜を共にし、女は妊娠、男は堕胎幇助で入獄というプレテクストを前提にしたものだという。風葉の「徳義」の無さに対する漱石の批判も込められていたらしい(「虞美人草」では、大森行きは実現されなかった)。
 さらには、「青春」が連載された読売新聞に対し、「虞美人草」の朝日新聞という、掲載媒体を意識した対抗心が漱石にはあったのだとか。

 ちなみに、「虞美人草 大森」で検索すると、大井町に「虞美人草」というエッチ系のエステがあることを知った。勉強になるなー。藤尾萌えーな方は行ってみるがよろしかろう。