23.6.06

日本の裏番組はオモロイ

日本とブラジル戦は後半20分くらいから、まったりモードに入ってしまった。前半は緊迫感あって面白かったけどね。まあ、前の試合まで不調だったデブにロスタイムに決められたんじゃあ、フツー立ち直れないわな。フレッジ様の登場もなさげだったし。そこで、裏番組のオーストラリア対クロアチア戦を見ることにした。

んで、これが異様にオモロイ。四年前の日本対チュニジアの裏番組、ロシア対ベルギーも、個人的には大会ベスト・ゲームの一つだった(ほとんど誰も見てないので、話が合う人がいない)。まあ、勝利でグループ抜けがかかる試合だけに、ガチンコになってしまっただけともいえるけど。

一点ビハインドのオーストラリア、ヒディングが相も変わらずディフェンスをアタッカーに代える交代を繰り返しまくって、最後は5トップというとんでもない布陣にするかと思えば、クロアチアにもストライカーになってしまったトゥドールに絶好のチャンスが訪れるは、乱れまくりの肉弾戦、両チームのセンターバックが退場になり、しかも二枚イエローもらってるのに審判が退場させるのを忘れてプレーを続けているクロアチアのシムニッチは(彼がゴールを決めたらどうなったんだろうとドキドキした)終了間際に三枚目のイエローを貰ってしまうは、最後は中盤省略のロングボール合戦になってしまうは、で妙にアツい試合に目が潤んでしまったのでありました。

これで負けてしまったクロアチアのショックは日本よりも大きいだろうな。日本戦も勝てたと思ってたろうし。でも、最終戦でここまで、ハチャメチャ、ガチンコでやってくれれば、負けてもスッキリしたのかもしれん。

したたかに満足して(本当はクロアチアに勝って欲しかったけど)、チャンネルをもとに戻すと、中田ヒデがピッチの上でほろほろと泣いておる。中田中心のチームが作れていたら、すべてが円滑だったろうに。などと思うと少し悲しくなる。

22.6.06

報道できぬもの

都合の悪いことは報道しないのは、北朝鮮ならずとも世界共通なんだが、日本のメディアはいったい何を報道しないのか。今回のようなワールドカップを見ていると、それがよくわかちゃったりしますわな。

フランス—韓国戦の、フランスのまぼろしのゴールは、あからさまにゴール・ラインを割っていたし、ブラジル—オーストラリア戦の、ロナウジーニョからロナウドに渡ったパス(そのあとにアドリアーノに渡り、ブラジルの一点目につながる)はオフサイドだった。こういう誤審はよくあるもんじゃいな。むろん、映像で見ないと、正しい判定ができないこともある。しかし、日本のメディアで、これを「審判の誤り」と報道したところはないんですよなあ。そう、この国では、「審判は間違えないもの」として定義されているらしいのだ。

それはJリーグの中継を見てもわかる。海外のメディアが、ハンドやオフサイドの疑惑シーンを徹底的、ときにはイヤミったらしく繰り返し流すのに比べ、日本の放送局が撮影、中継したものは、ほとんどこれに触れない。せいぜい「微妙な判定でしたね。ヌホホ」と流す程度。そこには、審判が判定したものは絶対で、それが表向きは間違ってはいけないという不文律があるようにも思えてくる。それは、一神教の文化を生半可のままに輸入した明治以来の伝統かもしれぬ。

審判も人間だから間違う。そのような間違いがあるから、サッカーという競技はけっこう面白くなる。たとえ試合に負けても、「オレだのチームが弱ぐないべ。あのクソ審判のしぇいだべず」と責任をなすりつけることもできる。こんなふうにして、完全なる強者、完全なる弱者を作らないところが、いかにもリアルに出来ている(そして、リアルすぎるので、夢見るアメリカ人にはサッカーが人気がない)。

そいえば、4年前のワールドカップでも、誤審が連続して起こったが、メディアはFIFAが「誤審がありました」と認めるまで、一切それを報道しなかった。映像を見れば誰にもわかることをあえて無視したっちゅうわけ。これは日本のメディアの体質だろうねえ。つまり、日本の報道は、明治以来、上意下達が基本だということ。お上が発表したものを、そのまま報道するだけの機関がマスコミってこと。

極論するなら、目の前で家が豪勢に燃えていても、消防庁の発表があるまでは、それを火事とは報道できない、みたいなもん。だから、日本の新聞もテレビもどれをとってもみな同じ。記者クラブ発のネタばかり。でも、新聞の原稿料は高いから、オレだって新聞の悪口は言わない。言うわけがない。うんうん、みんな同じですばらしいじゃないかあ(絶賛)。

あとは、電通などの、大手広告代理店が絡んだネタはあまり報道されないわな。今回のワールドカップで、日本のグループリーグの二試合が15時開始だったのは、抽選でもなんでもなく、日本での視聴率を稼ぐために、電通が仕組んだことらしい。だから、ジーコが 「暑っついなかで再び試合をすることになったのは、まさに犯罪」と記者会見で不満を述べても、 それが日本のメディアに乗ることは、まずない。

18.6.06

決してクロアチアの姉ちゃんのためではなく。


四年前のワールドカップの期間中は、スカパーですべての試合を生中継してくれていたから、地上波を見ずに済んだ。たまたま付けたNHKで、堀尾アナがバカなことを言っていたので、これを見続けるのはツラいなと思った。

今回スカパーはすべて翌日の録画放送なので、リアルタイムで見るには地上波を見る必要が出てきた。これがまた、ひどいんですね。四年前のワールドカップ期間中、トルシエ監督が日本代表にスカパー以外のテレビを見ることを禁じたことを思い出しちまう。

すべてを陳腐な物語に変換するのは仕方ないにしても、有名人やサッカー関係者がテキトーな戦術を語ったりする。ほぼ2ちゃんねる状態。これはトルシエじゃなくても、禁止したくなるわけだ。そんなアホの戯言を耳に入れても、まったく影響されないのが理想なのだが、それだけ成熟していない社会なのが実状なのだ(ネット掲示板の書き込み一つで警察が動く国だし)。ちなみに、そんなトルシエも今年は地上波で活躍中だったりするのが、またおかしいのではあるけれども。

試合の実況や解説も、ふだん海外のリーグ戦などチェックしていない連中ばかりだから、選手の名前一つ発音するのに愛情がまるでない。しかも、これまでのイメージの範疇だけで語ろうとする。この業界も志鳥栄八郎先生ばかりなのか。そろそろ「ゲルマン魂」とか「無敵艦隊」とか言葉を使ったら、罰金ものにすべきじゃあないか。

毎度のようにヨーロッパ、ヨーロッパと言うのはいいかげんバカっぽくてイヤなのだが、サッカーに関しては、さすがに向こうのテレビは違う。ドイツのZDFでは、試合が終わって30分後にキーパーから見える位置を3Gで再現していたり、かなりマニアックな内容だった。イタリアでは、国内リーグ戦終了後のゴールデンタイムに、試合内容について討論し、そこに当事者の監督や選手などが電話で参加するなどという番組を日常的にやっていた。日本では考えられるか? 土曜日のゴールデンタイムに、「Jリーグ・アワー」なんて放送できる環境ではないだろ。

もちろん、RTLなどの軽い番組では、ワールドカップでの売春婦の活躍や風俗店の健闘を紹介したり、外国人サポーターにドイツ国歌を歌わせたり、ブラジル人サポをいじりたおすアホ企画などもてんこ盛りなのだが、これはこれでコントラストがはっきりしてていい。要は、試合内容と、その他のものを分けて考えてくれということだ。

だいたいサッカーなんて、みんなそんなに興味あったんかいな。「負けられない一戦がある」なんて陳腐に煽られると、「じゃあ、負けてしまえ」などとわたしは思う性格なので、今日は堂々とクロアチアを応援することにする。前回の試合を見て、ジーコどころか川渕体制ではまるでダメだということがハッキリしたので。どーんと行け行け、ニコ・コバチ。憎々しげにヘッドで決めろプルショ。でも、小笠原には活躍して欲しいかな。

などと言いつつも、「日露戦争とか大東亜戦争の前夜は、メディアも世論もこんなふうに騒いでいたんだろうなあ」ということを擬似体験するには、ワールドカップは最適なのである。なにしろ戦死も爆撃もなく、その気分だけ味わえるのだから。ならば、永井荷風のように一切を黙殺する手もあるかもしれないが、小人物のわたくしにはそれができないだけなのである。

(写真はウィーンの街角で、試合後負けたのにも関らず、奇声を挙げていたセルビア・モンテネグロのサポーター)