2.5.10

マスクとベルガマスク

 先日、テレビを付けたら、たまたまコンサート中継をやっておって、冬頃に収録されたものなのであろうか、客席のマスク率が異常なほどに高いのに気付いた。まるで示し合わせたように、白いマスクの人ばかり。その人たちが目だけをギラと輝かせ、舞台に見入っている。顔の半分近くがマスクで隠されてしまうので、目が尋常ならざる存在感を示してるのが、ちょっとコワい。

 いつぞやは新型ウィルス騒ぎとかで、関西あたりでは電車のなかは一斉にマスクをした人ばかりで、そこにマスク無しで乗り込もうとすると、これまた一斉にギロリと睨まれる、なんてことがあったことを仄聞したことがある。やはり、表情が隠されたまま、目だけが際立ってしまうから、圧迫感は相当なものだろう。彼らの口元を覆う白いマスクが、俺たちは潔癖だが、お前は汚れている、みたいなメッセージのようにも思えてくるような。

 それにしても、日本のマスクって、なぜ白いものばかりなんだろう。もともと医療用だから白、というのはわかる。でも、今じゃ、医療うんぬん関係なく生活に浸透しているのだから、別に白でなくてもいいんじゃね、と思うのだ。事実、香港や台湾などでは色とりどりのカラーなマスクが普及しているようだし。

 いや、ここは、いわゆる白無垢の白なのだ。穢れに対し、身を守る潔白の白なのではないか。だから、日本では病気の人がマスクを付けるのではなく、それを予防する人がそれを付ける、というまことに不思議な慣習が出来てしまうのだ。少なくとも、欧米ではマスクを付けるのは、よほど伝染病が蔓延しない限り、「私は病人です」という表示でもあるし。

 こう考えると、カラーでグラフィカルなマスクのほうが華やかでいいのにな、というわたしの希望は日本では叶えられそうもないことがなんとなくわかってきた。じゃあ、白で結構。でも、現状では、遊び心が無さすぎはしないだろうか。インフルエンザ蔓延や花粉症の季節になると、みんなマスクしちゃうんだから、もっとマスク・ライフを楽しまにゃ損。

 たとえば、お手持ちのマスクに好きな字を一文字書いてみる。漢字でも平仮名でも、句読点でもよろしい。みんなそんなマスクして、電車に乗り込めば、ロングシートにズラリと文字列が浮かび上がるという算段。もちろん、なかなか意味のある文章にはならないわな。でも、偶然に「こ」「の」「タ」「コ」「野」「郎」「!」などと、並んだときの感激はひとしおである。

 なにしろ、見られている本人は、自分たちがどんな文字列を形成しているかわからないのが、いい。この人とあの人の席を交換すればもっと良くなる、この人の代わりに立っているあの人が座ればいい、などというようなアドバイスが向かい側に座っている人から提供されるかもしれない。殺伐としている電車のなかに、コミュニケーションが生まれる。これって、まことにすばらしいことじゃありませんかね。