31.12.14

暮れにはロボコン

 年末の風物詩というのがあるけれど、自分としては年始年末だからといって特別なことは何もしませんよ、いつも通りにノンベンダラリーと生きるだけなのさ、と素知らぬ顔して猫と足元ほかほかマットの取り合いに励んでいるところなのであった。とはいえども、世の中には相変わらず「年末は第九」みたいな風潮もあるらしく、「らしい」というのも、そういう人はさほどわたしの身の回りにはおらず、どちらかというと「今年はコンサート通いもそろそろ終わりにしたいんだけど、第九に行かなくちゃならないんだよねー結構うざー」と顔に書いてあるライターさんは少なからずいたりするわけだが、まあコンサートに人が入るのはいいことだ、オーケストラは稼ぐときにガッポリ稼いでおいて、定期公演でがっつり変な曲並べてね♡とビジネスモデルとしてすこぶる優等生な年末の第九については、わたしは諸手を挙げて応援しちゃってるのである。ま、行かないけど(でも、今年のロト指揮NHK交響楽団は気になったのだけども)。

 昔、といっても高校生くらいのときは、年末のNHK-FMでのバイロイト音楽祭の放送はよく聴いていたと思う。あっつい夏の盛りにやった公演をしんしんと雪の降る冬の夜中に放送してくれるのである。番組冒頭のファンファーレが厳かに鳴ると気分は高まったもんだ(今でもあのファンファーレに続いてドイツ語のアナウンスは放送してるのだろうか)。そうやって気分は高まったけれど、放送を聴きながら、そのまま寝てしまうのが常ではあった。風邪引くなよー。

 最近は師走に入ると、「あ、あれ、忘れちゃいけねえ」とわたわた思い出すのが、高専ロボコン大会の放送である。試合そのものはすべて11月で雌雄が決されているものではあるものの、テレビ放映が12月なので、必然的に年末は「ロボコン」ということになる。12月に入ると、地方大会が深夜に放送されるので、それを連夜チェックし、「こんなすげえロボで来るのかあ」「相変わらず四国のレベルは高いな」「けっ、これはデザイン賞狙いかよ」などと、全国大会の放送に向けて気分をわっしわっしと高めるのである。

 今年のテーマは「出前迅速」という、セイロを山積みしたロボットが障害物を越え、そのセイロを落とさずにゴールまで届けるというルールだ。セイロを固定して運んじゃいけないので、そのバランスを取るのが出場校それぞれのアイディア勝負になる。
 というか、そのための確実なスキルが要求されるので、あんまりヘンテコなロボットは難しいだろうなーと最初に放送された九州大会を見ながら思った。実際、1998年の大会「生命上陸」における、豊田高専「生命侵略」の憎たらしいほど強いロボットもなければ、1991年「ホットタワー」における大分高専「スプレもん」のような強烈なパラダイム・シフトを促すロボットも今回はお呼びではないようだった(というか、そんなのは滅多にお目にかからないのだが)。

 ちなみに、「スプレもん」というロボットを見たおかげで、わたしは高専ロボコンにハマったようなもので、これについてはこのサイトに詳しい。このリンクから行ける動画にも、青い箱の上から赤いインクがまるで血しぶきのように噴射されている様子が映っており、それはトラウマになりそうなスプラッター級の恐ろしいマシンだったのよ。

 そういうわけで、今回の大会への興味は、いかにも確実性の高そうなロボットでも、ちょっとした操作ミスで失敗するあたりにあったかな。全国大会でも、香川高専(詫間キャンパス)がそれでミスって三回戦で敗退している。詫間の操縦者が、試合後のインタビューでめっちゃ無愛想に答えていのが印象的だが、歴代の強豪校ゆえに、こんなところで敗退するなんてという思いが伝わってきて、さすが詫間、来年も憎たらしいほどの実力を見せておくれーと胸が熱くなってしまったりしたものである。
  
 優勝は熊本高専(八代キャンパス)。地区大会から堅実な印象だったが、決勝の舞台でセイロ計44枚を2往復でキチンと運べたのはやはりすばらしい(四国大会では香川高専高松が地区大会最大の36枚運んでいたが、全国大会出場ならず)。二回戦では和歌山高専が44枚を運んだのに対し、それを48枚で圧倒したのがこの熊本高専(八代)だった。

 それにしても、全国大会中継では試合の半分近くを放送してなかったんじゃないか。小芝居入れたりアイドルを登場させたりしてバラエティ化が進んだ弊害だろう。最悪。もっとストイックに放送しろや。地区大会は全試合をネットで見られるのだが、全国大会もそうしてくれるんだろうか?

 放送が終わるまでロボコン関係は情報断ちしていたのだが、地区大会ごとにOB技術解説の動画があることに気づいた。これはちょっとマニアックで楽しそう。

12.12.14

決勝の前の日に。

 いろいろあった年の暮れのこと、とくに行くあてもなくぶらぶら自転車を漕いでおったら、ちょうど夜明けぐらいに千駄ヶ谷駅の前に出た。薄明のなかから、赤いユニフォーム着た人が数名ばかり姿を現したとき、その日が元日だったということに気づいた。
 こんな時間から国立競技場に駆けつけるとは、さすが浦和レッズのサポーター。年の最初の光を浴びたユニフォームは水揚げされた魚のように、いつもと違った輝きを放っている。天皇杯っていいなー。うらやましいなー。そのとき初めてそう思った。

 あれから何年も年月が過ぎて、ついに我がクラブがその舞台に立つ。とはいえ、お約束の「元日に国立競技場」ではない。アジア・カップに代表を送らなくてはならんというので(うちのクラブには何の関係もありゃしませんが)、日付は12月13日に、場所も閉鎖された国立競技場の代わりに日産スタジアムに変更されたのだ。
 たぶん、一生に一度、できればもう一度くらいあってもいいと願ってはいるのだが、そのあまりにも特別すぎる天皇杯決勝が「12月13日に日産スタジアム」みたいな日常っぽさに、なんだか気分盛り上がらないなーと思いつつも、そんなイレギュラーな年だからこそ、色んな磁場が狂って、強豪のガンバ大阪を破ってしまう可能性だってなくはないのだ、なんて密かに考えたりするわけな。

 現在の山形の強みはコンパクトな陣形。それを可能にするハードワーク。効果的にプレスをかけ、いい位置で奪ったボールを敵のバイタルにスムースに運べる「チェルシーみたいな」時間帯というのはごくごく限られているのだが、その時間にうまく点が取れたのが終盤戦の強みだった。もちろん、これは体力勝負なんで、時間の流れとともにプレスがかかりにくくなり、相手にボールを回される時間が後半は増えてくる。並みのチームであれば、ディフェンス・ラインがずるずると後退、前線のプレーヤーとのスペースがポッカリ出来てしまい、そこを相手に使われてあっけなく崩壊してしまうもの。ところが、最近の山形は多少ラインが下がっても、コンパクトな陣形を保っている。そういうことろが「気持ちの強さで勝ってきた」ってことなんだろうなと思うわけ。

 明日の相手はイケイケに絶好調なガンバなんで、まったく戦略なんて立てられない。ドン引きして守るなんて絶対無理だ。最終節で徳島が見せたようなガッツリ守備をするだけのスキルは今の山形にはない。これまで同様、効果的なプレスをかけながら、コンパクトに陣形を保って数少ない勝機を伺うしか方法はないだろう。
 なんて、控え目な展望をしつつも、もしも勝ったらユニホームに星が付いちゃうんだよなー、来シーズンはACLでブリスベンとかスウォンに遠征しちゃうぞー、ブリスベン川で芋煮会やっちゃうぞーとか浮つきまくった皮算用までしちゃっている自分もどこかにいて、なんだか落ち着かない気分なので、神々しいばかりにあるべきところに音が配置されているエリシュカ指揮札響のブラームスでも聴いて冷静沈着さを取り戻そ。このディスクに一緒に入っているドヴォルザークのチェロ協奏曲の伴奏は、笑っちゃうくらいに響きが整理しまくっててさ。