27.12.05

「パリ・ルーヴル美術館の秘密」

パリには何度か行ったけれど、エッフェル塔もルーヴル美術館も未体験だったりする。ポンピドー・センターとかIRCAM、または地下鉄の乗り換えで迷って、地上に出たらそこが凱旋門だった、ぐらいの観光はしてるけど。
朝、ルーヴルは入り口の入場券を求める行列を見て、「今日はやめとこ」と素通りして、墓地やカタコンベに行くのが、わたしの標準的なパリの過ごし方だった。おかげで、パリの三大墓地で撮った墓写真ばかりたまってしまったわけなんだが。

先週末、前に買っておいたルーヴル美術館のドキュメンタリー映画DVDを見た。監督は最近ちょっと気になっている、ニコラ・フィリベール。この映画、ルーヴルでまったり過ごせそうなスケジュールは組めないかな、とマジ検討させてくれるに足る代物なのだった。

とにかく映像がすばらしいんでございますよ。
美術館に置かれているだけで、美術作品の魅力は半減すると思っていたわたしだが、うへへ、さすがルーヴルは違いますな、と感嘆してしまう。美術品がすっかりその場に溶け込んでいる様子が、滑稽なくらい徹底的に映像化されているのだ。
そして、そこで働く職員たちの日常が淡々と描かれている。一般人が想像するよりも美術品は荒っぽく扱われているし、地下の収蔵室での無造作に並べられた彫刻など、その日常的なところがやけに眩しい。美術品はわれわれにとって、非日常だけれども、職員たちには日常。そういう親和性がめっちゃ麗しい。

この映画は美術品への解説が一切ないので不満だ、という評をどこかで見たことがある。
なんちう愚かなことをおっしゃるんざますか。そーゆーのを求めるのなら、NHKの美術番組でも見てればよろしいんである。
解説もナレーションも、作品名のテロップも一切ない静謐なところが、この映画のすばらしいところなのだ。ドキュメンタリーなのにインタビューの類がまったくないのもいい。すべては映像が語ってくれてるんだから。

何でも解説してもらわないと困る人々がいる。
たとえば、美術展などで、絵を見る前に必ず作家名と作品名の書かれたキャプションをチェックしなければ気が済まない人である。少し離れたところで観察していると、キャプションと作品を見ている時間の比率が7:3ぐらいな人も少なくない。いったい何しに来ているのだろうと思う。これだったら、自宅で寝転がって出品目録でも読んでいたほうが、時間の節約になるだろうに。
クラシックの国内盤には必ず「過剰」な解説が付けられているし、文庫本を買うと解説が付く。それに、サッカーのテレビ中継には、やたらによく喋る実況と解説が付く。
はっきりいって、すべて余計である。
そんなもんがあると、「それが一体自分にとって何なのか」という考える余裕を奪ってしまう。

この映画、原題を直訳すると「ルーヴル村」でもなるはず。「パリ・ルーヴル美術館の秘密」という日本訳も、いかにも解説ありき的な発想なんだよなあ。ぐう。