17.10.07

ぶらりモーゼス

15日。ぶらりと上野でベルリン国立歌劇場の《モーゼとアロン》を見てくる。指揮界の黄金の仔牛、バレンボイムの空疎な指揮でも、いや、とりあえず指揮技術があって、外面の部分をキチンと鳴らせる人であれば、シェーンベルクの音楽は自ずと響いてくれるものなのである。何よりも、オーケストラの自発性を引き出し、こういうプログラムを日本に持ってくる政治力があるバレンボイムには十分に感謝せにゃならんて。

ムスバッハの演出は、いつもながらのスタイリッシュなのだが、時代を超えた様式を求めていながら、どうも古くさい感じがどこからか臭ってくるのだ。たとえ、その「マトリックス」とか「スター・ウォーズ」とか「サダム・フセイン」などの要素を取り除いたとしても、だ。その古くささを感じられたところに、おそらく、彼の持ち味が隠されているのであろう。完全にスタイリッシュを極めるということなら、何をやってもまったく同じのロバート・ウィルソンみたいになっちゃうしねえ(そして、ウィルソンのそんな金太郎飴なところが、割りとツボだったりするわな)。

今出ているチケット・クラシック誌で、ムスバッハとコンヴィチュニーの特集をしている。この二人の演出家の舞台写真を一斉に並べているのだが、その違いがあまりにも際立っていて興味深く眺めてしまった。ムスバッハが手がけた舞台のははるかに見映えが良い。とても色彩にこだわっているし、想像力をかき立てられる舞台なのである。一方、コンヴィチュニーは、何だかゴチャゴチャしてて、小汚い。劇場で見たことがあるものはそうではないにしても、スチル写真だけでは少しもイマジネーションがわかないのだ。ところが、実際に舞台に接すると、その印象はまるっきり逆転してしまう。

やはり第二幕、最後のモーゼの嘆きの印象は強烈だった。このあとにシェーンベルクが第三幕を書けなくなった理由もわかろうというもの(形式と内容が分離したあと待っているのは、山岳ベース事件とかあさま山荘事件みたいなもんばかりだし)。すっかり気分を良くして帰る。