この時期、コンビニに行くと、恵方巻というものが売られている。去年あたりから目立ってきたが、今年はそれがもっと徹底されているようだ。どこのコンビニに行ってもコーナーが準備されているなど、恵方巻を扱っていないコンビニを探すのが大変なほどである。
恵方巻とは、なかに7種類の具を詰め込んだ太巻きなのだが、これを節分の日、一定の方角を向き(それは毎年変わるそうである)、願い事をしながら無言で食べる(まるかぶりする)のだという。昨年、その話を聞いたわたくしは、なんておバカな奇習だぜ、と面食らった。紳士淑女のみなさんが一斉に、一定の方角に向かって寿司を黙ってもぐもぐと喰らうビジュアルを想像し、おかしみを禁じ得なかったのだ。こんなマヌケなことは、メッカの方角を向いて祈るイスラム教徒への冒涜的なパロディではないかと思ってしまったほどだ。
恵方巻は、大阪あたりの風習だという。なるほど、そういう民俗があるのはわかる。でも、そんなヘンなものを全国に広めてどうする気なのだ? イタコは恐山に居ればいいのだし、ナマハゲは秋田という文化的背景によって成立しているものだ。イタコが歌舞伎町の角で口寄せをしていたり、ナマハゲが世田谷区の住宅街に出没なんてことになれば、ありがたみや怖れ、奇抜ささえもなくなってしまう。
奇習は、それが生まれたところで行われているからこそ、その意味があるのである。文化の均質化は、モノゴトを本当につまらなくする。
ところで、この恵方巻、昔からある風習ではなくて、1970年代に大阪の海苔問屋の組合が始めたものだという。たった30年前とはいえ、風習は風習。30年間も続いたのも、その土地にそれが根付くだけの文化があってこそのものだろう。それが、全国に広まって、国民が一斉にまるかぶり出したら、その奇習のありがたみが失われてしまう。そのヘンテコな様子を見て、ヘンテコだと思う感性も無くなってしまう。そういう世の中って味気ないのよね。がうう。