6.6.06

百姓ぶるう。


街中にサムライ・ブルー2006っていうフラッグが目立ってきている(写真は、茗荷谷のカイザースラウテルン広場にて)。何かというと、日本は「サムライ」だ。でも、これって違和感バリバリなんすよね。

だいたい、今の代表が「サムライ」ではまずいんじゃないの? 「侍」は「さぶらい」、つまり主君に仕える身分のものを指す言葉だ。自分のことは何も決められず、すべては規範と主君の命令によって動く人々のことである。トルシエ時代だったらともかく、ジーコになって、「主体的に動こう」とモットーのもとにチーム作りをしてきたのに、これじゃあねえ。

やっぱり、ここは「サムライ」じゃのうて、「ヒャクショウ・ブルー」で行かなきゃならんでしょ。もちろん、百姓とは、農作業に専従する人々を指すのではなく、語義のとおり「百の姓」、さまざまな職業の庶民を表わす言葉だ(網野史学っぽく言えば)。つまり、色々な職能を持った人々が、さまざまなやり方で、一つのチームを作るっていう、ジーコの方法論にバッチリ適合してるんじゃないかい。しかも、百姓は、手段を選ばぬ力強さがある(生来、百姓はマリーシアなのである!)。体裁つくろうために「オレ腹切るわ」って散っていく侍では、長いワールドカップを闘うには、ちいと不安が残るんである。人間としては、こっちのほうが多少は信用がおけるけどな。