19.12.05

神さまを祀ってみるプロジェクト1



最近寒い、などという当たり前のことを書きたくなるほど、自分が今住んでいる家は寒い。
夜、ふとんのなかで本を読んでいると、息が白くなっているのがよくわかる。
読んでいるものが、新潮1月号の鹿島田真希の新作だったから、ますますカラダが芯から冷えこんでくる。

これも、やはり神棚(正しくは、「微妙に神を祀るのに適した棚」)に箱なんか置いているせいだ。
時期は師走。正月も近いぜ。
ということで、縁起物をそこに配置して進ぜよう。
わたしが保有している縁起物は、この黄色に塗りたくった正月のお飾りしかない。
これは、もう十年以上前になろうか、畏友芳賀徹(現在紙漉き職人)が郵送してきたものである。お飾りを黄色一色に塗ったものに、わたしの宛名を書き、切手を貼って年始代わりに送ってきたものだ。
当時、彼は常識では考えられないものをそのままの姿で郵送して送る、という芸術活動を行っていたから、こうしたヘンテコなものをわたしもよく受け取っていたのだった。

ある日、わたしが当時住んでいた鶯谷の集合住宅に帰ると、メールボックスの上に何か黄色いものが横たわっている。
まるでうち捨てられたゴミのように。
不審物、といってもいいだろう。
こんなものがパリの地下鉄のベンチの上に置いてあったら、間違いなく爆破される。駅構内が30分くらい閉鎖されてしまう。
わたしはゾクゾクとした予感とともに、そのゴミのようなものに手を伸ばし、それが芳賀徹からの贈り物であることを確認した。郵便局員はそれがポストに入らないので、ボックスの上に置いていったのだろう。
それから、4度も引っ越しをしたが、「お飾り」はいつもわたしの家に飾られていた。
表面には宛名が記してあり、そのまま表札として使いたくなるほどキュートなのだ。

今回は、それをしかるべき場所へご神体として祀ってみたらどうなるだろう、という実験である。
なかなかサマになる。暗がりのなかに、黄色が映える。
このように配置してみると、人のカタチに見えなくもない。
黄色く発色する人。まさしく、異星人信仰。
これは、古来のマレビト信仰に近いのかもしれない。
かつてはうち捨てられていた彼を拾って、暖かく迎える。
彼は災いを廃し、福を成し、そしてまた異星に飛び立っていく、というわけだ。
ありがたい。
これで、どんな寒い寝床で寒い小説を読んでも、平気なような気がしてくるのだから、信仰はやめられない。うはは。