23.10.09

「パリ・オペラ座のすべて」は、いろいろあって、ややすべり

ワイズマンの新作ドキュメンタリー映画「パリ・オペラ座のすべて」を見に行く。
もちろん、例によってナレーションもBGMもインタビューもない、バリバリに硬派なドキュメンタリーなのだが(個人的には、これぞドキュメンタリーだと思う)、どうもワイズマンらしくない。というか、ワイズマンを見てきたぜっヒャッホーといった感慨が薄い。なぜなのだ。

「コメディ・フランセーズ」「バレエ(アメリカン・バレエ・シアターの世界)」に引き続く三作目のパフォーミング・アーツ物なのだが、この二作に比べても、いささか毒が薄いように感じられちゃうのよね。「コメディ・フランセーズ」における、規定以上の枚数のチケットを買えなくて窓口で喚くモンスター公務員と、それを冷たくあしらう係員のシーンのような、ワイズマンならではのシーンがほとんど見当たらないのだ。「バレエ」では、ほとんど冒頭といっていいシーンに、いきなり「寄付金が足りなすぎるわよ」と電話口で怒鳴る支配人らしき女性が出てきて度肝を抜かれるが、そうした場面は今作では見られないのである。

どうも微温的なのである。団員たちが年金についての説明を受ける場面や、配役を換えてくれと談判するダンサーなどのシーンはあるし、それぞれのダンサーの熱意ある稽古を見られるにしても。まあ、ワイズマンはバレエ好き、パリ好きだから、いつものような対象への鋭利な視点をちょっとだけ損ねてしまった、ということもいえるかもしれない。

タイトルからの違和感もある。原題は「La Danse, Le Ballet de L'Opera de Paris」。直訳すれば「パリ・オペラ座の舞踏とバレエ」。このくらいに素っ気ないのがワイズマンのタイトル。「高校」「病院」「州議会」「肉」「法と秩序」みたいにさ。出来れば「舞踏とバレエ」ぐらいにして欲しかったのう。

不必要な字幕も付いている。作品とダンサーの名前の日本語字幕は余計だろう。ワイズマンの映画のコンセプトは、その対象となっている施設やら団体やらのシステムを描き出すことにある。よって、個人名などをわざわざ出す必要はまるでないのだ。それは映像を観て、わかる人がわかればいいだけで、知らない人にそれを伝える意味はまるっきりない(これは、ハッキリと断言できる)。

心配してしまったのは、それぞれの場面を字幕で説明しちゃったりしないだろうかということ。ワイズマンの映画は、これは何のシーンなのか、観客には一目でわからないことが多い。日常をそのまま切り取っているだけだからだ。観客は、その映像を凝視し、会話に耳をそばだて、自分のアタマで「へへー、こりゃお金でもめてんだ」などど判断しなければいけないのである。そして、カメラの存在を忘れ、そのまま映像の内部に入っていくことになるわけだ。これらの作業が、ひじょうに気持ちいいのである。この気持ち良さを奪われたら一大事と一瞬思ってしまったが、さすがにこれは杞憂。ホッとして映像に魅入る。

あと、会場の雰囲気も変だ。平日の朝の上映に駆け付けたのだが、これが見事に満席なのだ。確かに、ワイズマン作品は人気があるから、そこそこの人はいつも入るのだけれど(先日の日本未公開だった「エッセネ派」は満席だったし)、どうも客層が違う。見渡せば、いわゆる、無職のバレエおばさんが大挙して押し寄せているようだ。それが証拠に、混雑状況を調べると、夕方からの上映のほうが空いているのだ。

ははん。配給元もきっとこのバレエおばさんたちに受けるように、タイトルをいじり、余計な字幕を付けたっちゅう魂胆だな。たしかに、ワイズマン全作観てますぅといった、小汚い格好のドキュメンタリー映画ファンのよりも、ハイソっぽい雰囲気のバレエ好きおばさまたちのほうが、絶対数も多いし、お金も持ってる、いいお客様だ。うん、仕方ないね、これは。アテネフランセ文化センターあたりで再演するときは、せめて余計な字幕は取り払って下さいましな。約束だぜ。ふぎゅう。