7.2.06

「どうで死ぬ身の一踊り」

知人から電話があって、西村賢太の単行本が出たことを知らされる。鶴首していたのに、すっかり忘れていた。いかんいかんと近所の本屋を回るが、置いてない。三軒目でやっとゲット。平積みにもされてない。何という不憫な扱い。雪がちらつき始めた道を家に帰り、一気に読む。文学界に掲載されていた「けがれなき酒のへど」が収録されていないが、こいつはいつか文春から出るのだろう。

「どうで死ぬ身の一踊り」には、私小説の王道ともいえる「自らの情けなさ」を綴った三作が収められているが、核になるのは、大正期の私小説家・藤澤清造への傾倒だ。毎月一回追善供養を挙げてもらうために石川県の菩提寺に出かけ、古くなった墓石を譲り受けて自宅へ設置、故人の手紙などを精力的に収集し、「藤澤清造全集」の刊行を目論んで編集に明け暮れる日々。その執念は、まさに宗教的帰依といっていい。
そのための費用は同棲している女の実家に出してもらっているが、たびたび激昂してその女を殴るやら蹴るやら。もちろん、女は逃げ出すが、主人公はその女に惨めなほどに固執する。今日において、オトコが何かに強烈に「帰依」するということは、ミソジニーをも誘発する。同棲している女とのトラブルは必然的ともいえるだろう。

こういう生き方をしたのは藤澤清造その人だった。つまり、西村賢太は藤澤清造と一体化を目指しているというわけだ。まさしく、真剣なパロディ。もはやパロディでなくては生きていけないということ、さらにそれは軽いノリなんかじゃダメでつねに真剣でなくてはならない、という今日ならではのテーゼがここにはある。ともあれ、藤澤清造の辿った道筋を全身全霊、真剣にトレースしていくような作者の物狂いっぷりが鮮烈だ。